本の感想:この国のかたち(一)/司馬遼太郎

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この国のかたち(一)
司馬遼太郎(著)
この国のかたち〈1〉 (文春文庫)
日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている。
といった書き出しで始まるこの本は、言葉本来の意味、いわゆる言葉の歴史を教えてくれる。


本書の面白さは、各章の表題から離れていってしまうところにある。
この国のかたち、朱子学の作用、明治の平等主義、尊王攘夷、日本と仏教、若衆制、苗字と姓…など興味深い歴史の言葉が表題として並んでいるが、著者の司馬遼太郎はそんな表題から離れて思うまま筆をすすめている。
「○○について書こうと思っていたのだが××になってしまった」
そんなくだりが何度もでてくる。わたしは社会や歴史は嫌いな方だが、本書は堅苦しくなくていい。
著者が自由に歴史を飛び回っているさまが読んでいるこちら側も自由にさせてくれる。

本書を読んで良かった点は、言葉の持つ本来の意味を知ることができたことだ。
ナントカ丘
新聞の造成住宅地の広告の愛称。
古来谷こそ日本人にとってめでたい土地だった。
西洋人達は横浜、長崎、神戸などの高燥な丘(山手)に異人館を営んだ。
低地こそ人の住む所だと思いこんでいた日本人にとって丘にすむことは奇異にうつる。しかし、次第に丘がおしゃれなものとして日本人の心に刷り込まれていく。
農業土木
外国には農業土木といったものがない。
だから、外国語訳ができないため「NOGYODOBOKU」となる。
仏教
おしなべて世間で言う「霊魂」という思想はなく、仏教には教義がない
墓と言う思想もない。墓そのものが非仏教的なのだ。
わたしたちのイメージする仏教は坊主や寺の儲けぶちにすぎない。
解脱(げだつ)こそ仏教での究極の理想。
解脱とは煩悩の束縛から解き放たれて自主的自由を得ること。
ふつうの人なら生きているうちには解脱は無理。
苗字に「の」がつく人
重要な土地の名田のぬしの一族といった意味になる。
例)坂西の近藤六親家(ばんだいのこんどうろく)
「の」がつく苗字が減ったのは、名田の地を離れていくことになっていったから。
等々。
言葉の持つ歴史は面白いことをこの本は教えてくれた。
最近、尖閣問題などで国が(というよりマスコミが)右往左往していることについては、冒頭「この国のかたち」のくだりが役に立つ。

「七世紀のこの“外圧”といっても、随の煬帝が高句麗を攻める(611〜14)というふうな具体的な外圧ではなく、日本にやってきたのは、多分に情報としてのものだった。情報による想像が、恐怖になり、共有の感情をつくらせた。この点、19世紀、帝国主義的な列強についての情報と、それによって侵略されるという想像と恐怖の共有が明治維新をおこさせたということと似ている。」

外圧はない。
情報による想像が恐怖となって国を変えていく、と司馬遼太郎は指摘している。
これやいかに。

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