人生は有限である方が良いのか?それとも無限である方が良いのか?

わたしは仕事中に考えが煮詰まったときは、必ず外に出て空気を吸います。
今日も天気が良かったので、外にでて空を見上げながら背伸びをしていました。
青い空を見上げながら、背伸びをしていると幸せなきもちになります。なぜみんなパソコンばかり見て、仕事をするのでしょうか?
空を見ていて、ふと、いつか死ぬんだよなぁと思いました。


「人生が無限に続いたら」と過去には不老不死の方法などが考え出されました。
考え出されたというよりは、迷信めいたもので、例えば人魚の肉を食べると不老不死になる(高橋留美子/人魚の森)とか、秦の始皇帝が部下に命じて、不老不死の薬を作らせ誤って死亡したことなどです。
わたしは、人生が無限につづいたら色々とやってみたいことはあります。
「世界中を旅する」などしてみたいです。
しかし、仏教での考えの一つでもある「輪廻」(りんね)や「転生」(てんせい)などのように、死んでからまた別の生き物に生まれ変わるような無限であれば、少し躊躇します。
死んでからまた、人間に生まれ変わるのであれば、遠慮したいです。
もう一度、猫にかまれたり、屋根から落っこちて顔を縫ったり、小学校の夏休みの宿題をしたり、中学校での厳しい部活に耐えたり、恋愛で心を痛めたり、どんな仕事が自分には合っているか悩んだりはしたくないです。(笑)
よく「若い状態で、永遠に生きたい」という人がいます。
わたしは、そうは思いません。
若さは「見た目」ぐらいなものです。皮一枚へだてれば、みな同じです。
また、若いときは、考え方も未熟で「今の自分であれば、もっとうまくできるのに」と思う事は、年をとってからは多いです。現在が最高の自分とは言えませんが、現在の「心」や「知識」を持った状態で、永遠の命を頂けるのであれば、かなり嬉しいです。
でも人間の体は、せいぜい100歳とちょっとくらいまでしか持ちません。
人間も自然の一部であれば、そうするしかありません。
アンチエイジングしても死ぬのです。
人生の時間が有限であることで、良いと思われるのは、人生に対して真剣になれることかもしれません。

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