面倒な神様

わたしは、自分が気に入っていないモノだとすぐに手放してしまう。
しかし、気に入っていたり、大切にしているモノだと話が変わる。

お気に入りのモノが使えなくなったり壊れたりすると、まずは修理できないかと考えてしまう。
ただ、わたしは特別器用なわけでもないので、時おり修理が面倒だと思ってしまう。でも、修理しないとモノに対して、悪い気がしてくるので修理に取り掛かるのだ。
ちょっとしたものばかりだが、いままでに昭和の扇風機、屋根のアンテナ、車のドアの内張り、すくう部分がとれたおたま、子どもが壊した沖縄土産のシーサーなどなど、色々と修理してきた。正直なところ、新しいものを購入した方が安くつくような修理も多々あった。

ふと、最近思うのは、どんなものでもいつかは壊れたり、使えなくなる、ということ。
修理とは、その時がくるのを延ばす作業のことだ。
モノの寿命を延ばすのだから、きっと面倒なのだ。
でもそうして寿命が延びたモノたちは、わたしには神様みたいに思えてくる。

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