「仕事は道具だよね」
正月に帰省した地元長野の友だちとの会話での言葉だ。
【写真/2012年11月29日 東京築地「井上」の中華そば(美味しいですよ!)…いちおうこれもアウトドア麺】
いつも釣りにいく近所の千曲川に友人と行った。
川岸でアウトドア用品を使い、お湯を沸かしてインスタント麺を食べた。
美味しかった。同じインスタント麺でも自然の中で食べると美味しいことに気づく。
そこでたわいもない会話をしばしの間していた。
(千曲川を見ながら、ラーメンを食べている)
「こういうのは贅沢だね」
「アウトドア麺!」
「その言葉、はやらないわ」
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「まあ仕事は道具だね」
「道具なくちゃ何にも出来ないもんね」
帰宅途中、わたしは友だちの言った「仕事は道具」というフレーズを何度か頭の中で反芻し、本当にそうだと思った。
父が病院に通っているが、病院には多くの機器がところ狭しと置いてある。
ほとんどわたしには使い方が分からないものばかりだが、それらの道具がないと病院はどうなってしまうのか想像もつかない。
病院でなくともあらゆる仕事場所にはそれぞれの道具があり、その道具を熟知した人が仕事をこなしている。
友人は車の整備士をしているので、やはり整備に適した道具や工具というものがあるのだろう。
道具がないと仕事にならないことは容易に想像がつく。
「手だけじゃどうにもならないもんね」とは友人の言葉だ。
わたし自身は、主にコンピュータを仕事の道具として使っている。コンピュータが無くなればわたしの仕事もなくなるだろう。
日々わたしたちが難しい顔でしている仕事というものは、道具がなければできないようなことがほとんどなのかもしれない。
道具を作った人は偉いが、道具を使うだけのわたしは大して偉くはないように思う。
自分にしか出来ない仕事とはどんなことだろうかと思う。
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