芸術について

芸術について考えた。
「芸術」は極論を言ってしまえば、ただの自己満足にすぎないと思った。
??? Frog Bear
【写真/2010年6月13日 紙粘土で作った無名な芸術家気どり作品(右2つ)左は那須で買ったお土産】

芸術は「術」とついているだけあって、技術の一つだ。
「術」という言葉は、昔からあらゆるものにつけられている。

古来では武術、算術、占星術…現代でも会話術、護身術、仕事術などいくらでも見当たる。
古来現代問わず、何かを極めた感がある言葉のようだ。
そう言う意味では、わたしが持っている術というものはなんだろうか、と考えてみたが何も持っていないことに気づいた。
なにか「術」の一つでも身につけたいと思う。
芸術もわたしが身につけたいものの一つだ。
素晴らしい芸術作品に出会うと「ああ、自分もこんな絵が描きたいなぁ」などと考えてしまう。
仏像は大好きだ。仏像も芸術作品だと思うが、一本の木から彫った仏像などを見ると「こんな像を彫ってみたい」と安易に考えることがある。
わたしは芸術からはほど遠い人間だ。
しかし、美術館を訪ねたり絵画や美術作品に触れることは大好きだ。
もちろん子供の描いた落書きを見る事も同様に好きだ。
ときどき芸術作品と同じ目で子供の落書きを見ている時がある。
有名であれ、無名であれ感動させる作品を作る人がいる。
ところでわたしは、どんな作品を見ても自己満足なんじゃないか、と不謹慎にも思ってしまうのだ。

芸術家気どりの作品を作る人も多い。わたしの事だ。
相田みつをの真似をして書を描いたことがあった。「人間だもの」みたいなやつだ。
しかし実際に相田みつを美術館にいったとき、相田みつをが寸分違わぬ綺麗な漢文の書を書ける人だと知り、自分を恥ずかしく思った。上手に字が書ける人だったのだ。
ピカソも中学生くらいの年齢ですでに写真のような絵画作品を作っていたと本に載っていた。
「術」を身につけてから芸術の域に達したのだ。
一朝一夕には出来ない、とよく言われる。
一日二日で出来るようなことは、大した事ではないし誰でも出来ることだ。
十年二十年と切磋琢磨して鍛錬したことが自分には足りないなあ、と思う。
長い間やってきたことと言えば、飯を食う事くらいだ。はずかしい。
一朝一夕には出来ない技術で作られたものは、心から素晴らしいと思う。
彫刻などでも、それをどうやって作ったのだ、と技術に感動してしまうことがある。
でもその技術を少しくずした作品を目の前に出されると、わたしのような見る目がない素人は「落書きにしか見えない」となってしまう。
しかし「芸術とは」と考えるとき、どうしてもそれは「自己満足」なのではないかと感じてしまうのだ。
本人が勝手に作っているだけでしょ、と。
人の心をとらえれば「芸術家」だし、誰も感動しなければ「売れない絵描き」になる。
どっちつかずの人もいる。
ただ、一朝一夕には身につかない「術」には興味を憶える。

何歳からでも「術」を身につけるための鍛錬は出来ると思う。
わたしは「芸術家」を目指している「売れない絵描き」だ。

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