なぜわたしが「薄暗い場所」や「せまい場所」を好むのかが、この本を読んで分かった気がした。
最初「いんえいれいさん」と読んだが、正しくは「いんえいらいさん」だった。
陰翳礼讃とは?
一般的にこの本の紹介文には
評論・随筆の白眉とされている谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」…
などとなっている。白眉?これは「はくび」と読むんだったっけ?一応漢字は読むことが出来た。白眉とは何となく「凄い」というイメージがある言葉だ。しかし、この程度のわたしの知識では陰翳礼讃は「凄い文章」で終わってしまう。学のないわたしは再度「白眉」の意味を辞書で引くことになった。
白眉 … 多くのなかでいちばんすぐれたもの。
ということは、陰翳礼讃は、評論や随筆のなかでいちばん優れた文章ということになる。
日本でいちばんすぐれている評論・随筆に何が書かれていたか?
ひとことで言うと(わたしがひとことで言ってしまっていいのか分からないが)こうだ。
日本家屋などの薄暗さというものに日本人は心が落ち着くし、それがかえって美しいとさえ感じている
谷崎潤一郎はこれを延々と長い文章にしたためて、白眉と呼ばれる名文を作り上げたのだ。
感想
「陰翳礼讃」は、青空文庫でも読むことが出来る。
わたしが読んだ「陰影礼賛」は、写真集に文章が添えられているような本だった。
こちらの方がわたしみたいな凡人には読みやすいし、頭に入ってくる。(上のリンクからは試し読みも出来るのでぜひ添えられた写真も見て欲しい)写真が半分、文章半分。余白が大きいため1ページの文章量が少ないのもいい。添えられている写真は現代に撮影されたものだが、日本家屋を中心に撮影された翳(かげ)りのある写真が、谷崎潤一郎の書く文章に合っているのだ。補足すると写真は大川裕弘という写真家が担当している。
座敷があるような日本家屋に住んだことがあったり、親戚の家に泊まりにいったら昼間でも薄暗い昔ながらの家だったり、そんな経験がある人はこの本に書かれていることがある程度理解できるのではないか。
正にわたしの生まれ故郷長野にあった実家がそうした古い日本家屋だった。昼間でも家の中が暗いのだ。それはそうだ、天井はすすで真っ黒だったし、柱には艶があるがどこか翳(かげ)のある色合いだ。おまけにトイレ(便所といった方がいいだろうが)に行くまでに通ることになる座敷部屋などは天井も高くて部屋の隅が昼間でも薄暗い。もののけを感じることができそうな、そんな家だった。実はわたしは小学生時代、夜に座敷の前を通ってトイレに行くのが怖かった。
陰翳礼讃の中で西洋の色合いと東洋の色合いを比べている箇所がある。翳りのある空間で生活している日本人にしか分からない美の価値を西洋と東洋どちらが優れているという風でなく淡々と解説しているのだが、最終的に「日本家屋などの薄暗さというものに日本人は心が落ち着くし、それがかえって美しいとさえ感じている」という結論に落ち着く。
あるいは、現代の日本が西洋の技術や恰好を模倣して文明的な生活をしていることに対して「もし、東洋で発達した技術を世界が使うことになっていたとしたら?」と読者にたたみかける。ペンが毛筆として進化していたかもしれないし、映画の色合いなども日本の風土にあった日本人の姿かたちに沿ったものと発展していただろうと。身の回りの色々な物の姿かたちが変わっていたかもしれない。これは東洋人の西洋に対する愚痴といってしまえばそれで終わりだが、そこは名文、
とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。
といった想像するきっかけを読者に与えてくれる。
「陰影礼賛」を読み終えて分かったこと。
わたしが「薄暗い場所」や「せまい場所」を好むのは、わたしが日本人であるからということだった。
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