「どんどん便利になる技術に対する不安」を著者の視点だけではなく、色々な人へのインタビューを通じて明らかにしていこう、という本。
「便利」は人を不幸にする
佐倉 統(著)
正直なところ、本全体を通しては、まとまりがなく感じた。
ただ、わたしが面白いと感じた部分は著者の行った色々な人へのインタービューだ。
以下は、インタービューの中から、わたしが面白いと感じた視点や考え方。
家庭内の「便利さ」についてアメリカの科学技術史学者ルース・シュウォーツ・コーワンが書いた『お母さんは忙しくなるばかり』という本の内容。
19世紀から20世紀にかけての世の中の機械化によって、家事労働も省力化が進んだ。しかし、それは男性や子供が担当していた領域だけで、女性(お母さん)の労働量は、むしろ増えたという。薪ストーブから石炭ストーブになってわずらわしい薪割りの必要がなくなった。しかし、火力の増強に合わせて薪ストーブではひとつしかなかったコンロの数が増え、以前ならシチューをことことと煮ていれば他の調理はしなくてよかったのが、2つも3つも鍋を使って調理できるようになってしまった。
独学の哲学者内山節(たかし)さんの話。
「たとえば、新興宗教を作って登場してくる人達は、みんな善意でやってるわけですよね。この考えがみんなに広がれば世の中本当に良くなると思ってる。他の人からみるとはた迷惑ですよね。善意というのは、そういう問題がある…」
「人間たちの生存していく最低基盤に属するようなもの、そういうものはやっぱり巨大システムに依存するべきではないと思う。何かあった時に、代替する最低レベルのものは自分たちで持っているのいうのが、出発点だと思う」
工業デザイナーに山中俊治さんの話。
「たぶんぼくら、生き物と相対するときに相手がどこ見てるかがすごい大事だからだと思うんですけど、視線って相手の知能の鑑みたいな部分があるんですね。そういうのを感じとって、視線を向けられる機械がいるだけで、『何見てんだろう』とか、『見つめられてる』とか、『あれ?今度は何に興味示したんだろう』といった、勘違いっていうか、生物的な相互作用の幻想、イリュージョンがおこるんですね」
「ロボットがなんかやってくれようとするときに、こっちのことがわかってやってるのか、気がつかないでやってるのかってすごい気になるとは思うんだけど、こうやってガーッて寄ってきたときに、気がついているなって明らかにわかれば、ああなんか取りに来てくれたのかなっていう話になるんだけど、反応しないでただガーッと近づいてきたら、きっとよけると思うんです。なんか怖くて。そういうのって人間同士は暗黙知の中でいっぱいコミュニケーションをしていて、こういう生き物らしさもある種の暗黙知なんじゃないかなと思うんです…」
以上。
人の意見と言うのは、参考にもなるし、新たな考えの出発点にもなる。
そういう意味で本書に感謝したい。
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