コミュニケーションは、要らない (幻冬舎新書)
押井守(著)
この本は、コミュニケーションの作法を語った本ではなく、正真正銘の日本人論だ。
日本人として、いまの日本の現状を憂えていたり、日本ってなんだろうと考えたことのある方は、ぜひ読んで欲しい本だと思う。
わたしは、著者である映画監督「押井守」を映画「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」を観たときから知っていた。
中学生のときだった。
この監督の作品は世界的に評価が高いものが多い。
わたしの押井監督に対するイメージは、「かけそばを食べるシーンが多い」とか「戦車や戦争がよく出てくる」といったイメージだ。
この本を読んで、印象が変わった。
震災から1年後の今の日本に対して、
「(ツイッターやSNS等で)みんなが同じ情報を共有することで、あたかも誰もが同じ体験を共有しているかのごとく錯覚し、一斉に、我先にと被災地に感情移入しようとしていることに不気味さを覚える。」
「そこにあるのは、コミュニケーションではなく、感情移入の促進だ。」と「絆」や「頑張れにっぽん」などの標語を糾弾している。
また、感情論に終始して、次に何をすべきかの議論がなされないツイッターをはじめ、ネット空間に対し、ネット上では論理的思考で議論ができないことを指摘し、それによって「書き言葉」の衰退を招いたとしている。
古典についても書いてある。
押井監督は最近、古典や本から得た言葉を自分のフィルターを通さず、そのまま発信しているとの事。
自分の作った言葉
「人間は人間について語りすぎた。それゆえに人間であることがわからなくなった。他者である動物を語る手段すら失った。本当の意味で孤立してしまった。」
を引用し、「結局、一人の人間が本当に生み出せる言葉などそれくらいなのではないかと思う」としている。
そして、「この自分の作った言葉も無意識に誰かの言葉を引用している可能性もある」と先人の知恵に対し敬意を払っている。
ネットの信頼性についても、
「震災においてツイッターでの発信やユーストリームでの生中継がテレビや新聞の報道と対比され、ネットの情報のほうがはるかに信頼できるという意見が強まった」
「だが、あえて問いたいのは、テレビや新聞よりもネットが信頼できるとう根拠はどこにあるのかということだ」
「どちらにしても他人の意見だ」
最終章の著者の言葉を引用する。
まず、『信じない』ということによって自分で考える。
それが今の世の中を生き抜くために必要なことだと僕は思う。
震災の前後について、政治について、軍事について、コミュニケーションについて、そして日本人について真正面から訴えた好著だと思います。
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