タイピングが速いからといって、いい文章が書ける訳ではない

情報処理の先生になりたての頃、わたしは一本指でキーボートを打っていた。
先生がそれでは生徒からすれば心もとないということで、わたしは毎日出社時の5分と退社前の5分はタイピング練習を毎日行った。
「特打」というタイピング練習ソフトを使って毎日ホームポジションで打つ練習をしただけだったが、その効果は1ヶ月後にまたたく間にあらわれた。

両手の5本指を使ってブラインドタッチが出来るようになっただけでなく、文章を打つ速度が入社時と比べ2倍以上になった。
もう10年も仕事を続けているので、最近では10分間に800文字以上は平均して打てる。コンピュータを使う人からすればわたしのタイピング速度は人並みか少し速いくらいだと思うが、これくらいの速度になると自分が考えていることを文章にするタイムラグが少なくなってくるので、文字を手書きすることが面倒くさいと思うようになる。
思いついたことをキーボードですらすらと入力できることはできる。しかし、思いついたことが「いい考え」や「いい文章」なのかどうかは別だ。
コンピュータを使っていると何かこうじっくりと物事を考えることをしなくなるようだ。
「書く」という行為から「打つ」という行為に変わってしまった以上、わたしの文章も変化しているに違いない。
単位時間に多くの文章を出力できるようになったが、わたしの文章の質は良くなっているとは思えない。タイピングが速いからといって、いい文章が書ける訳ではない。
これは学生についても言えることで、タイピングが速い学生の成績がいいとも限らないし、将来仕事が出来るようになるとも限らない。

ただ、わたしが今までに学生と接していて一つだけ言えることがある。
面白いゲームアプリや卒業制作作品を作った学生は、みなタイピングが速かったということだ。

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