へんな日本語でも通じればよいという考え方

諸外国での日本人向けに書かれたパンフレットや看板、注意書きにはへんな日本語が多い。
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【写真/2012年11月8日ベトナムで出会ったへんな日本語】

ナプキンをでみ箱に入れて下さリ

とある。
これは妻がベトナム旅行したときの一枚だ。
「でみ箱」の「で」という文字はなんとなく「ご」に似ていなくもない。気持ちは分かる。
最後の「下さリ」に至っては、結果オーライといった感じで、どう考えても日本語のひらがなとカタカナの存在を分かっていないに違いない。
こうなると、下の中国語や韓国語訳もあやしく感じられる。
英語訳は大丈夫そうな雰囲気だ。
こうした看板には日本ではなかなかお目にかかれない。
日本人はちゃんとしているなぁと思う反面、大らかさが足りないようにも感じられる。
外国に旅行して、はじめて出会う日本語が「へんな日本語」だとなぜか安心する。
いつも日本で生活しているとちょっとした間違いも許さない雰囲気になっている。
ちゃんとしていないと普通ではない雰囲気だ。
幼児がはじめて文字を書き写したような「へんな日本語」がわたしは大好きだ。
そうこなくっちゃ、という気持ちになる。
語学などといって英会話をちゃんと勉強しようとしているのは実は日本人だけなんじゃないだろうか。
外国で出会う「へんな日本語」は、「それでいいんだよ」とわたしに「へんな自信」を持たせてくれる素敵な贈り物である。

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