いつかの車掌さん

松代駅 そういう気持ち

学生時代の通学中にも色々とドラマ(?)はある。
これはわたしが中学生の時の話だ。

今はもう廃線となってしまったが、その頃はまだわたしの田舎にもローカル路線が走っていた。中学校1年生の時、わたしは電車通学をしていた。
電車通学とはいえ、家から駅までは1~2kmほどあったので、自宅から駅までは自転車で行き、そのあと電車に乗りこむ、という通学をしていた。

中学に入学したての頃は、緊張もあってか遅刻せずに家を出ることが出来ていた。しだいに慣れてくると電車の発車時間ぎりぎりに駅に着くことが多くなり、しまいにはわたしは後ろから迫りくる電車に追いかけられながら駅に到着するようになった。わたしの進行方向からすると電車は左側を走ってくる。ある時は、左に電車、右にわたしという形で、電車と並行して走る男子中学生(わたし)が毎朝の光景となっていた。

わたしも遅れると分かっていながら「まだ大丈夫、まだ大丈夫」などと必死で自転車をこいでいた。案の定、後方から踏切が鳴る音や電車が迫ってくる音がする。不思議なもので、それまでこれ以上スピードが出ないくらい必死に自転車をこいでいたと思っていたのだが、ヤツ(電車)がやってくるとわたしはさらに自転車を加速できるのだった。人間本気を出しているようで、なかなか本気は出ていない
わたしの通学時の自転車加速は電車が見えていない時の第1段階と電車が現れた時の第2段階に分かれているようだった。(第2段階は、映画ワイルドスピードで、勝負をかける時のニトロスイッチを入れる感じだろうか)

しばらくは電車と並行して走りつつもなんとか発車の時刻には間に合っていたわたしだったが、ある日電車に追い越されてしまった。「勝負あったり!」などと心でつぶやいても後の祭り。しかし、女神は微笑んでいた。
わたしが勝負をあきらめて自転車置き場に自転車を停めホームに向かう間、とうの昔にホームに到着していた電車はまだそこに停車していたのだ。電車の先頭車両からは車掌さんが身を乗り出してこっちを見ている。あきらかにわたしを待っている。毎日のことだから車掌さんも知っていたのだろう。わたしは車掌さんに対する有難い気持ちと申し訳なさの入り混じった気持ちでその電車に乗り込んだ。
その後、わたしは反省して早起きするようになったかどうかは分からない。
しかし、その時の車掌さんに対する感謝の気持ちはいまだに心に残っている。

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