『好き』が自分への入口/社会人になって考えたこと

『好き』が自分への入口
社会人として、これから社会にでる人たちにこの言葉を贈ります。


わたしは今の職業(情報処理学校の先生)につくまでに紆余曲折しました。
自ら職を辞め、フリーターになったり、ときには正社員をしながらアルバイトをしたりの二足わらじをはいている時代もありました。
正直に言うと、4つ目の職業が今の仕事なのですが、最初に勤めた仕事から今現在の仕事に至るまで、真剣に仕事というものを考えたことはなかったです。
なんか辛くなったから辞めたりしていました。
そんな中、一番続いている仕事が今の仕事です。
きっとコンピュータが好きなのだからだと思います。
わたしはコンピュータにはじめてふれたのは、中学生くらいのときでした。
父が突然買ってきたのです。
その頃は、一家に一台パソコンがある時代ではなかったので、それは珍しいことでした。
ビデオデッキでさえ一家に一台ない時代でした。
わたしはそのパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)でプログラムを入力して遊んでいました。
なぜ意味も分からない英字で打たれたプログラムを入力したか。
それは横しまな理由からでした。
長いプログラムを入力して実行すると、当時ではゲームセンターでしか遊ぶことの出来なかったゲームで遊ぶことが出来るのです。
自宅でゲームが出来るなんて夢のようです。
今ではスマホや携帯で簡単にゲームが出来ますが、当時は夢のようなことだったのです。
わたしは夢中で何度も間違ったりしながら、ゲームプログラムを入力するうちにいつの間にか自分でもプログラムが作れるようになっていました。
わたしは今、学生にプログラムを教えています。
最初からこの仕事を目指していた訳ではありません。
いつの間にか、本当にいつの間にか自分が中学生の頃に好きだったことが仕事になっていました。
だから、少しでも興味がわいたり、好きであったりするものにはとりわけ何かの力が働いていると考えた方がいいのかもしれません。
『好き』が自分への入口だからです。

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