落ちているジャガイモをなぜ拾わないのだろう

健康にいいから、という訳ではないが大抵毎週末は近所の田んぼ道を走る。
走っている最中は色々なもの(都会ではないので基本的に自然)が目に飛び込んでくる。
数少ないが、ときどきゴミも落ちている。今日は捨ててあるビニール袋からこぼれたジャガイモを発見した。


落ちていたジャガイモは、すでに食べごろではない状態だった。腐っていたり、ぶよぶよしていたりして柔らかい。
わたしは野菜を裏庭に少し作っている。
走りながら捨てられているジャガイモを見つつ、裏庭に種イモとして埋めたらどうだろう?と考えていた。
最初はジャガイモの前を通り過ぎたが、もう一周そのコースを走ることにしていたので、2周目はジャガイモをいくつか拾ってポケットに入れた。どうせこんなところに捨てられているジャガイモなどカラスだって見向きもしない。
家に帰ると早速土を耕して、拾ってきたジャガイモを半分ずつに切って埋めた。
芽が出るかなあ、と考えながらわたしは少しワクワクしてきた。
わたしは裏庭に穴をほって生ゴミを以前捨てていたことがある。
カボチャのタネなどを生ゴミとして捨てると、かなりの確率でカボチャの芽が出る。なおかつ、カボチャの実も取れた。もちろん煮たりみそ汁に入れたりして食べさせてもらった。
わたしがゴミとして捨てたものから、わたしの食べ物が収穫できることに不思議な感動を憶えた。
今回わたしが走っている最中に拾ったジャガイモはどうだろう。
まだ収穫できないうちから、わたしはジャガイモをどうやって食べようか考えている。

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