物事はいろいろな方向から見ないと分からない。『視点移動』が必要だ

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物事はいろいろな方向から見ないと分からない。


美味しいのでよく買う梅干しが近所で売っている。
その梅干しを買うとき、わたしは必ずパッケージの裏を見る。パッケージは透明なので裏から見ると底にある梅干しがよく見えるようになる。
売っている状態からだと大きく見栄えがする梅干しが見えている。買う人からすると全部の梅干しが同じく見栄えが良くて大きなものだと思う。しかし、底にある梅干しは一回りも二回りも小さいサイズの梅干しである。しかもつぶれたりしている。
「ああ、なるほどなぁ」と感心してしまう。
わたしは、梅干しの大きさや見栄えで買っている訳ではないので、問題ないが、「騙された」と考える人もいるかもしれない。
まあ、裏から見えるだけ良心的かもしれない。
梅干しだけでなく、物事はいろいろな方向から見ないと分からない。視点を変えると見えるものがある。
教育学者の斎藤孝さんも「視点移動」ということを著書で語っていた。
カメラマンなどは常に視点移動を意識しているのではないか。
人は自分自身を自分の目で見ることは出来ないというが、もし自分に対して「視点移動」を行うとしたらどうしたらいいのだろう。
鏡で直接見ることだろうか。
ビデオカメラで自分を撮影してもらい自ら見ることかもしれない。
他人は自分の鏡という言葉を受けて、いろいろな人と接することだろうか。
周りの人に「わたしってどう思う?」と聞いてみることだろうか。
よくよく考えるとわたしが会う人はみんなわたしのことをいろいろな方向から見ているのかもしれない。
だから他人の方がよっぽどわたしの事を知っている。

わたし自身あの「梅干し」だったとして、誰かにひっくり返されて裏をみられたら、一回りも二周りも小さい貧相な梅干しだったらいやだなぁと思う。

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