新聞が終わる日

わたしの知っている若い人は新聞を取っていない。
新聞を取っていないと教養がないと思われたのは今は昔。
「新聞なんか取らなくてもネットでニュース見れるじゃん」と言われておしまいだ。
新聞が終わる日も近いと思う。

新聞に月々3000円も支払うくらいなら、とお金を別のことに使う人が増えても仕方がないとわたし自身思う。
なぜなら、これだけ通信技術が普及してしまった今、教養は新聞以外からいくらでも取る事ができるから。
新聞が役に立つのは、引越しのときに食器が割れないようにするための包み紙としてくらいしかみてもらえないのではないか。

わたしは新聞の書評欄で紹介された本を読んで感動したり、投書欄などで一般庶民の意見を読んで感心することは度々ある。わたしにとっては新聞はまだまだ現役の情報媒体だ。しかし多くの人にとっては新聞を取る事は「もったいない」とさえ思うようになっているのも事実だ。

最近の新聞は広告が紙面の半分以上を占めている。わたしが読んでいる朝日新聞は、自社の記事がスマートフォンで読める<朝日新聞デジタル>なるサービスを毎日のように盛んに紙面を1〜2面も使って宣伝している。
紙媒体の新聞が、<デジタルでも読めますよ>という広告はどこか奇妙だ。また、新聞記事の見出しにデジタルでは動画が見れますなどと書いてあることも変な話だ。一体何がしたいのだろうか。

伝統ある大衆紙が廃刊になることが海外では始まっている。
いづれ日本の有名な新聞もなくなる日がくるのではないかと思う。
人々は長い記事を読まなくなってしまった。
記事がねつ造されていることも知ってしまった。
号外よりツイッターの方が速報性があることを知ってしまった。
何より、広告がほとんどを占める馬鹿でかい新聞に魅力を感じなくなってしまった。

しかし、新聞にすばらしい記事を書く人は今でも沢山いる。
その人たちは、きっと新聞社の知らないところで、新聞とは別のかたちで情報を発信しているのではないかと思う。

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