修理の先にあるもの

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洗濯機に水が溜められなくなったことがあった。
修理の人にきてもらうと、排水弁の開閉部分が壊れたからだと言われた。
「部品があれば直せます」という。
2〜3日して、故障部分の部品が修理センターに到着したようで、修理人の方が来て直してくれた。
見ていると誰でもできそうな交換だった。
Chinatu
【写真/2010年9月11日 日のあたる坂道】


最近の家電は「モジュール交換」となっている。モジュール交換とは、故障した部分に置き換えて使う部分をある程度の範囲でパッケージングしてあり、簡単に交換できるようになっている。
半田ごてを使ってくっつける、とか壊れた部分に合うような部品を金属を削って作る、などという職人めいた作業には最近お目にかかれない。
「部分交換」が主流だ。
技術があれば修理できる製品はいまだ多いと思うが、それは消費社会がゆるさないのだろうか。
技術がいらない修理屋さんであれば、新人研修も必要ない。
新人がすぐにやめても、誰も出来る仕事であれば離職によるリスクが少ないと企業は判断しているのか。
どちらにせよ、それで本当にいいのか、と叫びたくなる。
今でもある街の自転車修理屋さん。
軒先で、日がないつ来るか分からないパンク修理の客を待っている。
日焼けしたその顔にある目は、はるか遠くを見つめ哲学的でもある。

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