児童書のおすすめ本60選

ウェアラブル端末という名の「自分」

2014年はウェアラブル元年

<ウェアラブル端末>が続々と商品化されている。
わたしは携帯電話自体がすでにウェアラブル(身につけられる)に近いと思っていたが、さらに身につけやすく小型になって登場してきた。

腕時計型のGPS付きの製品だと走ったルートや距離、1キロ毎のラップタイムなど様々な情報がインターネットと連動して記録出来る。最近はもっと小さくなってTシャツにICチップが埋め込まれ、それを着用して走ったりしただけで、カロリー計算やラップタイムが計測できるというのだ。

発売されてはいないが、話題のメガネ型端末Googleグラスは、漫画ドラゴンボールのスカウターさながら、現実世界に色々な情報を投影してくれる。
使うかどうかはその人次第だが、凄い技術であることは確かだ。

時間を節約できるわたしたち

携帯電話でわたしたちは、時間を節約できるようになった。素晴らしい進歩だ。
それに伴って、漢字が書けなくなった。相手の電話番号を憶えなくなっただけでなく、その人とのコミュニケーション履歴も<思い出す>のではなく、携帯で検索するようになった。

わたしは、ウェアラブル端末は、<身ぐるみはがされる端末>だと思う。
今までは、自分の中にあった記憶。大事な記憶が、どんどん身につけた電子機器にコピーされている。

親子でウェアラブル!

子どもにクリップ上のウェアラブル端末をつけて、運動不足かどうかをスマートフォンでチェックしている親子の様子がテレビで流れていた。
もし、ウェアラブル端末からはじきだされた判定結果が<運動不足>だったら、「スマートフォンなんか見てないで、外で遊んだら?」とわたしはその親子にいうだろう。

ウェアラブル端末という名の「自分」

自分で出来る事を機械任せにしてしまう怖さを警告している人は少ないように思う。
プログラマなら、そのプログラムが間違っているという可能性を考える。
スマートフォンのアプリもウェアラブル端末で処理された結果も全ては組み込まれたプログラムがはじきだした結果に過ぎない。プログラマは、そのプログラムが間違っている可能性やプログラムの実行結果が世の中の人全てに当てはまる訳ではないことを知っている。

ウェアラブル端末なんか身につけなくとも、あなたは最初から色々な能力を身につけていますよ、と言いたいのだ。

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