そういう気持ち

5km圏内の致死率は1%という奇跡

「俺が今おるのは奇跡みたいなもんよ」と原爆後に生まれた伯父は言った。伯父にしてもそうだが、わたしだって父が原爆の被害者になっていたなら、この世にはいまい。そう考えるとわたしの息子や娘だって。今の自分たちがあるのは奇跡と言える。
言葉

父が亡くなる2ヶ月前に言ったこと

わたしの父は癌で死んだ。父が亡くなる2ヶ月くらい前に、緩和医療の病院に移ることになった父を見舞いに行った。その頃の父はまだ、普通に会話が出来た。
日記

俳句:故郷

長崎は父の故郷坂に雨長崎瞬哉
そういう気持ち

父が最後に教えてくれたこと

わたしは父が嫌いで実家を出たが、父から教わったことは多い。
日記

情けねぇ人生だ。笑っちゃうよ

父に電話して少し話した。父は、電話を切る前に「情けねぇ人生だ。笑っちゃうよ。おやすみ!」と言った。
言葉

言葉と責任

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本を父に贈ったことがある。そのとき父は癌だった。わたしは良心から本を贈ったつもりだったのだが、わたしのしたことは「人の気も知らないで」ということに他ならなかったようだ。
そういう気持ち

名も無き創造物

木の文化と石の文化があるとして、どちらが後世に残るものだろうか。
日記

父からの夕食

9月21日。長野は、日差しこそ夏を感じることもありますが、空気はどこか爽やかで、これから来る秋を感じさせてくれます。わたしは今、父と実家にいます。【写真/2013年9月21日 父が作った「鯛の荒と大根の煮物」】
そういう気持ち

食と人

食べ物で思い出すのは、味だけではないような気がする。美味しかった、ということよりも<誰と食べたか>ということや<どこで食べたか>ということの方が味以上に思い出に残っているものだ。
そういう気持ち

高度な文明の行く末

【写真/2013年8月11日 実家の庭にある祖父が作った地蔵 - 合掌】1945年アメリカ軍は、日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した。あれから68年たつ。