しゃばけ
畠中 恵(著)/新潮文庫
学生に「しゃばけって本、知ってますか?」と言われて、興味をもち読んでみた本。
しゃばけとは、「俗世間における名誉・利得などのさまざまな欲望にとらわれる心」とのことです。
あらすじ
江戸時代。薬問屋長崎屋の若だんなは小さい頃から身体が弱い。
しかし、若だんなには、まわりの人には見えない妖(あやかし)たちが見える。
突然まきこまれた殺人事件を、この妖たちと解決していく物語。
まず設定が、「江戸時代」というところが、この本のポイントだと思います。
「江戸」というと、今では「東京」なのですが、文化や日本の中心地という意味では、「江戸」と言ったほうが、近寄りやすい気がします。
設定のもう一つのポイントが、妖(あやかし)と本書で呼ばれている妖怪たちです。
しかも、妖は主人公の若だんなにしか見えません。
中には人間に姿かたちを変えて、若だんなの店で一緒に働いているものまでいます。
若だんなは、身体が生まれつき弱いので、妖たちに見守られているようです。
妖は、古くなった襖や柱などが、心をもったものです。元は人間の使っていた大工道具だった妖もいます。
この自然や古い物にも心が宿っているという発想は、特に目新しいものではなく、昔から日本にある八百万の神(やおろずのかみ)と呼ばれるものにあたると思います。
宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」にも付喪神(つくもがみ)として登場していました。
長い年月を経た木や道具に、霊が宿る現象で、日本人のいう「神さま」というイメージに一番近いと思います。
わたしがアルジェリア(イスラム教国)に旅をしたときに、「おまえは何を信じているんだ?」と聞かれて、この付喪神(つくもがみ)について答えたのですが、信じてもらえませんでした。
「そんなに神が沢山いるわけはない。神はアラーひとりだ」
と返されました。
「アラーのみが神だ」と信じる人(キリスト教についても言えますが)の気持ちは、わたしはわかります。
その環境では、そう信じる方が幸せだと思うからです。
いつもは妖たちの力をかりて難を逃れたりしている若だんなですが、最後は自分の意志と勇気で殺人事件を解決に導きます。
「自分は目に見えない何かに守られている」という心が、この物語の根底には流れています。
江戸時代という設定がそれを違和感なくさせているようにも思えますし、身体が弱い若だんなだからからこそ、と言う風にもとれます。
「目に見えない何かに守られている」という気持ちは、日本人であるわたし自身少なからずもっています。
とくに、子供時代には強く感じていた気持ちです。
小さい頃から「悪いことをしても、善いことをしても神様は見ているよ」と教えられてきたからかもしれません。
神さまが見ているから「どうした」というわけではありませんが、この目に見えない「何か」に見守られているという発想こそ宗教なのだと思います。
江戸連続事件というシリアスなことがおきているのに、読んでいてあまりヒヤヒヤとしないのが「しゃばけ」の好いところかもしれません。
人生もシリアスですが、ヒヤヒヤしないのがいいよ、と言われた気がしました。
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