人生は今を真剣に生きたなら、百年にも二百年にも感じられるのではないかと思う

平均寿命と呼ばれるものがある。
国によって、地域によっても違うようだ。
わたしの実家のある長野県は高いほうだ。わたしは、今現在住んでいる茨城県は、それより低い。
わたしの寿命は、変わってしまったのだろうか。
Naoya
【写真/2010年9月14日 風呂場の脱衣所で本を読む】


二十歳くらいのときは、考えもしなかったが、最近は「老い」という言葉が目につくようになる。
「老いを楽しもう」とか「健康に老いる」などと、巷には「老い」に関する言葉や勧誘が多くある。
そういった広告やそれを口にする人に対して、わたしは「いづれ皆死ぬんだけどなぁ」と独りほくそえむことがある。
「老いを楽しもう」と書いてある本を手にする人は、今まで楽しんでこなかったのかなぁと考えたり、「老いる」ということ自体「健康」じゃないんだけど、などと考えたりする。
英語のことわざで、

Life is short, art is long.

というものがある。
「人生は短く、芸術は長い」との直訳になるが、「art」は芸術という意味のほかに「ものごとを習得する」という意味もあるそうで、ことわざの意味としては、「ものごとの習得には時間がかかるが、人生は短いものだ」となる。
日本の「少年老いやすく、学成り難し」にあたることわざだ。
わたしは、このことわざを最初にみたとき、「人の人生は短いが、芸術は息が長い」と訳した。
芸術家が死んでも、作品は後世に残ると考えたからだ。
芸術家は、破天荒な人生を送った人が多く、人生も短い人の方が多い気がする。
短期間に多くの精力的な作品を発表して亡くなった、という話も多く存在する。
わたしの想像だが、芸術家は一般人とは別の時間空間を生きているのではないか。
芸術家は、好きなことをしている人が多い。
好きなことをしている時間は、嫌いなことをしている時間とは明らかに感覚が異なる。
短期間に超人的な作品を発表するには、集中し充実した時間が必要だ。
5年間だけしか作品をつくらなかったとしても、その人が全てを投げ売って集中した時間を過ごせたら、5年が10年にも20年にも感じられるのではないか。
そういう意味で、寿命と言うのは、その人その人で異なるが、流れている時間もまた異なっていると思う。
同じ年で死んだ人でも、その人その人が別の時間を生きてきたのだから、「同じ時間を生きた」と感じることはない。
平均寿命より長生きしたとしても、それが長いのか短いのかはわからない。
長生きしたいと本気で思うなら、「今」しかない「今」を充実させることだと思う。

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