ずる休み

長崎瞬哉(詩人)

小学生の頃の私は「学校に行きたくない子供」でした。

昨今でいう「不登校」とまではいきませんが、「熱がある」とか「お腹が痛い」などと親に嘘をついて学校を休んでいました。

1年のうち10日以上は、いわゆるずる休みをしていました。

その日も、私の「ずる休み日」でした。

父と母は会社に勤めていましたので日中は家にいません。祖父はすでに他界していましたから、学校をずる休みした日は祖母と私の二人で過ごすことになります。

祖母は父や母と違って、「宿題しなさい」だの「家の手伝いはすすんでしなさい」などとうるさく私に言わない人でした。

孫に対して、つまり私に対して祖母は甘かったんだと思います。

学校を休んでいるにも関わらず、私が家の中でテレビを見たり遊んだりしていても祖母はとやかく言いませんでした。

きまって午後3時になると、私のために祖母はおやつを作ってくれました。

その日のおやつは、ニラせんべいでした。

祖母の作るニラせんべいは、水で溶いた小麦粉に千切りにしたニラを入れてフライパンで焼いたものです。

醤油をかけて食べる簡素なおやつでしたが、私は祖母が作るニラせんべいが大好きでした。

その日、お腹いっぱいのニラせんべいを食べたせいか、私はうとうとしてきました。

いつしか私は眠っていたようです。

「……とーしーおー…」

耳元で名前を呼ばれた気がして、私は目が覚めました。

雨音が聞こえてきます。さっきまで晴れていたのに、いつの間にか外は雨が降り出したようです。

当時、私が住んでいた家は、木造住宅平屋建ての古い日本家屋でした。

こうした古い家は、雨が降ったり曇っていたりすると昼間でも家の中が薄暗くなります。

起きてしばらくして、さきほど耳元で聞こえた私を呼ぶ声が、祖母の声ではなかったこと気づきました。私は少し不安になってきました。

居間の時計は3時45分を指しています。

てっきり長い時間私は眠りこけていたのかと思っていましたが、眠りはほんの十数分のことだったようです。

居間には、私一人。祖母はいません。

ふいに家の中がしんと静まり返った気がしました。

たいていの人は、目の前に人が見えていなくても「人がいる」という気配は、どことなく伝わるものです。そうした人の気配が家の中から消えていました。

と、台所の方から「ガタン」と音が聞こえました。

私は驚くと同時に立ち上がりました。自分の家にいるのになぜか私は無人島にでも取り残されたような気分になっていました。

早く祖母を探さねば、私は思いました。さっきまでずる休みを満喫していた私は、とうの昔にいなくなっていました。

台所に行くと祖母はいませんでした。人の気配もしません。

「おばあちゃん!」

私はいつもより大きな声で呼んでみました。

「ガタン」

今度は居間の方からさきほどと同じような音がしました。何か重いものが硬いところに打ちつけられるような音でした。

居間に戻って、もう一度「おばあちゃん!」と呼んでみました。しかし、返ってくる言葉はありません。

ふと部屋に入って気づいたのですが、居間から奥座敷につづく襖が少しだけ・・・ほんの10センチほど開いているのです。

(さっき開いていただろうか?)

半信半疑で、私は開けてある襖に手をかけようとしたその瞬間!

何かがガシッと私の手首をつかみました。

それは襖のむこうから伸びた手でした。細く少し骨ばった手です。

襖の向こうは、暗くて見えません。突然暗闇から手がにゅっと現れたように感じました。

私は「ぎゃっ」と叫んで、心臓が飛び出しそうになりました。

私の手首をつかんだその手は、私を奥座敷の方に引っ張っていこうとします。反射的に私は座敷に引き込まれないよう体を踏ん張りました。

つかんだ手を振り払おうとしましたが、私の手首は万力のように締め上げられてびくともしません。

暗闇の手が私を座敷に引きこむ力は、次第に強くなっていきます。

どうにか足だけ踏ん張って、上半身が真っ暗な座敷に引き込まれそうになったそのとき………私は気を失っていました。

気を失う瞬間、私をつかんだその骨ばった手の甲に黒い大きなほくろがあるのが見えました。どこかで見た手だと思いました。

「としお!としお!」

祖母の声に気づいて起き上がると私は薄暗い部屋にいました。座敷でした。

座敷。

さっき私の身に起きたことは本当だったのでしょうか。

不思議そうな顔をしている私に祖母は心配そうな顔でいいました。

「洗い物してたら、こっちからドンっておっきな音がして……としお大丈夫か?」

「うん」

祖母は安堵したように笑いました。

「そうかそうか……かわいい、かわいい……ふふふ」

祖母は幼児に話しかけるような調子で、同じ言葉を繰り返しました。

ぞわり、背筋を這い上がる寒気の中で、私は気づきました。

私の手を握る祖母の手の甲には、大きなほくろがあったのです。

祖母の目は、私を見ていませんでした。

その目は、私を見ているようで、少しずれていました。

祖母は、私の耳の横、背後の暗がりをじっと見つめ笑っていたのでした。

それ以来、私は学校をずる休みしなくなりました。

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