物事に「AI」つけすぎ説

アイキャッチ未登録画像 そういう気持ち

政見放送を聞いていたら

この放送のアナウンスは、AI音声にてお送りします

とアナウンサー(こっちも人間じゃないのか?)が話していた。

要するに「機械音声で話しますよ」と言いたいのだろうが、少し昔の選挙では「AI音声」などという言い方はしていなかった。

AIという言葉は、日本語では人工知能と訳される。

人工知能であるなら、AI音声は人間の指示ではなく、自立して勝手に話す音声である必要がある。

そんな馬鹿な!

これまで人間の指示で動かしていたプログラム機械技術などを総称して AI何たら などと呼んでいるに過ぎない。

しかし、しかしだ。
「AIナビ」やら「AIクッキング」などなど、最近は物事の頭に「AI」をつけ過ぎではないだろうか。

「AI」(=人工知能)はもともと自分の研究に注目してもらうため米国の一学者が作った造語だ。

目を引く言葉として生まれた「AI」が、最近では企業が営利目的で使うアイテムと化してしまった。

だから「AI」が頭についた技術やサービスには、どこかうさん臭さを感じてしまう。

きっとマスコミは、AIを利用した選挙予想などと銘打って客寄せの放送をするだろう。

将来は、「ええ愛首相」が日本国を導いてくれるかもしれない。

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