視点を変えれば、今わたしがいるここも宇宙の果てだと思う。
自分から見て相手が遥か遠くにあると<果てしない>という表現になる。
「わたし」が住んでいるいる太陽系のようなところが遥か遠くにあって、地球のような惑星が存在し、わたしのような生き物が「自分以外にも宇宙には生物がいるのだろうか?」と考えている。
と、そんなことを考えたことがある。きっとその人(?)からすれば、わたしがいる「ここ」も宇宙の果てだろう、という感じだ。
想像をめぐらせることは勝手だ。
そんなことを考えたからといって何かしら変わるわけでもない。それでも、わたしは何度も「宇宙の果て」を考えた。
わたしの記憶が正しければ、作家村上龍の言葉に、
自分にとって美しいもの、 手に入りにくいものは いつも遥か遠くにある
というものがあった。
「美しいもの」を、人は何度も見てしまう。自分が意識していなくとも。
人生のうち、何度も考え想像をめぐらせてしまうことがあるなら、それは、わたしにとっては「美しいもの」なのかもしれないなあ、と思う。
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