発達障害の人からすれば普通の人が発達障害かもしれない

多数決が全てである、ということを小学校時代くらいから教えられた。
しかし、だ。
多数決が正しいかどうかというのは、歴史が示す限りそうとも言えない。

わたしは仕事柄教えている学生の中に発達障害と呼ばれる学生が少なからずいる。
発達障害といっても様々で知能的に劣っているわけではない学生もいるし、記憶力がある方面では異常に優れていたりもする学生も多い。人とのコミュニケーションにおいて劣っている、ということで発達障害などと呼ばれているようだ。
そんな学生と接していて思うことは、もしかすると発達障害と呼ばれる人から見れば、わたしの方が発達障害なのではないのか、ということだ。

なんで山手線の全ての駅が空で言えないの?
なんで白亜紀の恐竜のことをほとんど知らないの?
なんでいちいち挨拶してるの?

と、感じているのかもしれない。
社会に出るにあたってコミュニケーション力は大事です!などと言っているわたしに対して、先生の話は、あたりまえすぎてつまらない、などと思っているかもしれないのだ。
もっと、恐竜の生態について教えてよとか、ブルーレイデッキの構造について教えてよ、とか思っているかもしれないのだ。

視点を変える、ことは人の気持ちになる上で大事なことだ。
発達障害の人からすれば、普通の人が発達障害かもしれないのだ。

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