「機械は思わない」… 本書より
石頭コンピューター
安野光雅(著)
安野光雅の本は以前にも絵本を紹介<本の感想:旅の絵本/安野光雅>したが、今回は絵でなく文章だ。
「コンピュータに関心のある人は読んでみて下さい」と冒頭で著者は語っていたため、読んでみた。
もちろん挿絵は著者本人によるものである。
最初から4分の3くらいまでのページは、学校の授業のようで面白くはなかったが、後半は興味深い。
わたしは「情報」の章での著者の考え方が面白かった。
例えば、
作曲と楽譜と演奏という3つの関係を考えたとき、
作曲は「事実」、
楽譜は「情報」、
演奏は「真実」
という考え方ができると思います…
などとして
「事実は変えられませんが、「情報」は変えることができます。「情報」から再現される「真実」は、ただでさえ「事実」とは違うのに、変えられた「情報」からは「事実」とは程遠いものしか出てこないことになります。
作曲<事実>は変えられない。楽譜<情報>は世界を飛び回るが、演奏<真実>は作曲した本来のものとは程遠い。
「情報」を解釈するのは人間であり、その中から「真実」を見つけ出すということは容易ではない、と著者は本書で述べている。(インターネット時代に入り、情報の洪水にのまれているわたしたちは、「真実」とは程遠いところにいる気がする)
コンピュータの2000年問題という過去のニュースも取り上げられている。
西暦の下2桁で年号を処理していたため、2000年になるとコンピュータは「1900年」と勘違いして何か大きな事故が起きるのではないか、と恐れられたニュースのことだ。
マスコミが当時「ミサイルが誤発射される」などといたずらに煽り立てていた。著者は、この2000年問題のニュースで使われていた「誤作動」という言葉に注目している。
コンピュータは「誤作動」を起こさない。なぜなら、プログラムされた通りに動いているだけだから。
コンピュータは指示された通りにしか動かないため、「誤作動」はあり得ないと。
言われてみれば、2000年になった途端にミサイルが発射されたら変だ。1900年にミサイルを発射するプログラムだったということになる。あくまでも「間違えるのは人間」という著者の考えは真実である。
『石頭コンピューター』は、コンピュータについて探った本の中では異色の本だ。いつだったか「コンピュータを知れば知るほど、人間というものが見えてくる」という言葉を聞いた。本書は、コンピュータと人間との関係を取り上げながら、その真実に迫った本だ。
わたしたちが「コンピュータ」と、どうつき合っていけば良いのか。それは誰も教えてはくれないが、本書は「コンピュータ」とつき合う上での一つの考え方を提示してくれているように思う。
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