怪人二十面相
江戸川乱歩(著)
この本は、わたしが通っていた小学校の図書室に置いてあった。
何冊あったかは忘れたが、とにかくこの「怪人二十面相」シリーズは沢山置いてあった。
表紙絵がおどろおどろしく、それがまたこの本の内容にあっていた。
わたしは今回30年ぶりくらいに読んだが、現代においても「おどろおどろしさ」は色あせていないことを知った。
わたしの手元にある「怪人二十面相」は、ポプラ社から出版された本で、発行の第一刷が1964年8月となっている。
わたしもまだ生まれていない。そして、1997年に第107刷とある。
他の出版社からも出ているが、わたしはこのポプラ社発行のうす暗い挿絵の版が一番好きだ。
2012年の現代において、かれこれ50年近く昔の作品なのだ。「怪人二十面相」がどれだけ多くの人に読まれているかが分かる。
どれだけ多くの「人」といったが、どれだけ多くの「少年少女」といった方が正しいかもしれない。
わたしもかつてはその1人だった。
怪人二十面相に憧れた。
人殺しはしない
ものを盗む前に必ずいつどこで何を盗むか予告する
名探偵明智小五郎との対決を楽しんでいる
そして、誰も知らない二十の顔をもつ
悪人として描かれていながら、かっこいいと思わせるキャラクターを登場させる小説は得てして成功する。
時代背景は昭和の初期になる。携帯電話やコンビニ、パソコンの類いは登場しない。
東京が舞台だ。
「このあたりは、夕方日が落ちてからは、人どころか野良犬さえ歩いてはいませんのに、今晩に限っては向こうの方から、すぅーっとした足取りで老人が一人歩いてくるのです…」
などといった書き出しがわたしの中での江戸川乱歩「怪人二十面相」シリーズの記憶に残るイメージだ。
2、3ページ読み進むと必ずといっていいほど「さびしいかおをした」とか「うらさびしい」などと「さびしい」といった単語が登場する。
わたしは頭の中で、行った事もない「東京のうらさびしい夕方の屋敷町」を想像した。
江戸川乱歩は、日常の中にどこか違和感をもった風景を登場させることが上手な作家だと思う。
「怪人二十面相」シリーズは、全46巻あるが、これらは乱歩が少年少女向けに書いた小説だ。
大人向けにかいた「二銭銅貨」「芋虫」などの推理小説は、おどろおどろしくもどこか切ない小説が多い。
江戸川乱歩の小説は、推理小説に属されるが、推理を読み手に強要するものでもない。
なぜなら、登場人物が秘密をあばくのではなく、「語り」の中で種明かしをすることが多いからだ。
読んでいてどっぶりと怪奇小説の世界に浸ることが出来る。
明智探偵や助手の小林少年を団長とする少年探偵団も活躍することの多いこの小説で、わたしが一番好きな人物は、やはり「怪人二十面相」その人だ。
傍若無人、大胆不敵。
二十の顔を持つが、素顔は誰にも、いや「自分」でさえも分からない。
人間誰しも様々な顔を持っている。
世の人々を「あっ」と言わせようと怪盗の予告をし、二重三重に計画を練り実行する。
名探偵明智小五郎に敗れ計画に失敗する。
一つの事件に何度も何度も姿を変え、幾度となく世間に挑戦する二十面相にどこかしら「さびしい」気持ちを感じるのは、人間誰しも様々な顔をもって生活しているからかもしれない。どれが本当の自分の顔かも分からずに。
「怪人二十面相」は、少年時代からわたしの心を捉えて離さない。
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