戦争は、十二歳の私の心に
大きな空洞をつくったのです。
私は、それをうずめるため
この作品を書きました。 「はじめに」より
第二次世界大戦中に12歳の少女であった作者高木敏子さんの戦争体験記をもとにした本である。
タイトルの『ガラスのうさぎ』とは、主人公敏子のお父さんが作ったガラスの置物であり、空襲の業火によってとけてしまった『ガラスのうさぎ』なのである。
これを書くことで作者が自ら心の空洞を埋めたのであれば、これを読むわたしたちは何を埋めたら良いのだろう。
淡々と時系列に話は進んでいく。
兄2人は軍隊に志願し、敏子は田舎に疎開となり、町が空襲により焼かれて家がなくなり、母や妹二人が姿を消し、やっとのこと再会した父とは目の前で米軍機の機関銃に打たれて死んでしまう。そして戦争は終わる。
(ーこの弾丸が、この弾丸がお父さんを殺したんだ。)そう思うと床にふみつけてやりたい位、くやしさがこみ上げてきた。でもわたしは、それをブラウスのポケットにしまいこんだ。父を殺した何よりの証拠品として残しておきたいし、また死んでお骨になってまで機関銃の弾丸といっしょでは、父もさぞ痛かろうとおもってー。 本文より
家族が誰もいなくなり、父を火葬する娘の気持ちはどんな気持ちなのだろう。
火葬した遺骨とともに「長さ5センチくらいの焼けこげた金属」である弾丸が出てきたときの気持ちは。
漫画『はだしのゲン』のように、ストレートに戦争や敵国、そして国の方針に対して感情をぶつけている激しさは文中にはない。
あくまで、戦争でこういうことがありました、という文章なのだ。それが余計に戦争の激しさ、厳しさを際立たせている。
この本を、戦争を知らないわたしたちに残してくれたことの意味は大きい。
あとがきの早乙女勝元さんがこう締めくくっている。
あのとき無念の死をとげた犠牲者たちは、こんにちこの世に存在する者の心の内にしか、生き残れないのですから。
少女が父とよく見に行った相撲。
もう相撲を見にいくことはないだろう、というその訳を知るとき、わたしは改めて戦争のしたことの重大さに気づかされ悲しみがこみ上げてきた。
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