本の大きさについて

本を千冊持ち歩いてもかさばらない電子書籍は、それ相当の価値がある。
ただ、百科事典を読もうが、小説や絵本を読もうが、同じ端末を使って読む限りは手触りは同じだ。
わたしは紙の本のデメリットである「物理的な本の大きさ」というものにこそ価値がある、と思う。

昨今は、何でも物事を効率的に済ませようとする傾向がある。コンピュータの目的が効率化だからだ。データさえあればいい、という雰囲気がある。データさえあれば自分のコンピュータで処理できますんで、といった感じだ。

コンピュータなぞ無い時代に熟慮して作られた文献なら千年通用するだろうが、コンピュータの時代に入ってから作られた文献は千年通用するのだろうか。まだ、答えは出ていない。
コンピュータに取って代わるものが、発明されたとしてその「コンピュータの次」の製品を人々が使う時代になったとしたら、「コンピュータの時代は良かった」とか「コンピュータで仕事をしている時代は人々もきちんと考えていた」などとなってしまうのだろうか。
その時もまだ宮沢賢治は残っているのだろうか。答えはまだまだ出ない。

もし、ネットオークションで、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の直筆原稿と「銀河鉄道の夜」のデータとが売りに出されたら、人々はどちらに価値を認めるのだろう。

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