成長しろと世間は言うけれど

成長が強制されているような気がした。
わたしはそういったことが中学生時代や高校生時代に何度かあった。
「しあわせは〜あるいて来ない。だ〜からあるいていくんだね〜」で始まる水前寺清子の歌『365歩のマーチ』では、
人生について「三歩進んで二歩下がる」と歌っている。
2011-08-22 at 11.29.09
【写真/2011年8月22日 11時29分の花】


人は成長する生き物。
人は死ぬまで成長する。
だめだと思えばそこで成長は止まる。
よく語られる言葉だ。

成長や進歩という言葉は自己啓発や教育の場で頻繁に出くわす。

わたしも成長や自分を高めることに興味をもった時もあった。
もちろん人は成長する生き物だと思うし、死ぬまで色々な部分で成長を続けていくとも思う。
確かに物事を諦めたらそこが到達点になるし、成長もそこで止まると思う。
しかし、だ。
成長しているかどうかの判断はどうやってするのだろうか。
テストの点数でだろうか。去年よりかけっこの記録が良かったらだろうか。人に誉められてだろうか。
その人にとって良い結果であれば、成長したと考えることはたやすいが、結果が悪いと成長したと考えることがなかなか出来ない。
人生は一日一歩。三日で三歩なのだ。そして三歩すすんで二歩下がる。
それくらい成長の度合いというものは、自分自身ではわかりにくい。
毎日会っている人や自分の子供などに対しては成長の変化が分かりにくい。
親戚の子供が少し会わないうちに、すごく成長をしたなと感じるときがある。
ふだん顔を合わせていない人や幼児期の子供などはとくにそう感じる。
実際にはふだん顔を合わせている人や自分の子供なども日々成長を遂げているに違いないのだが、当事者も含め近い人にはそれが分かりにくいのだ。
もう一つ。
絶対に前に進んでいるとは言い難い時もあるのではないか。
例えば、三歩すすんで二歩下がるならいいが、三歩すすんで四歩下がることもあるのではないかと思う。
気持ちの上で急激に後退することもある。
わたしなどはしょっちゅう三歩すすんで四歩も五歩も下がっている気がする。
ものによっては成長の度合いがすぐに感じられる短期的なものもあれば、10年経って成長したと感じる長期的なものまである。
とくに毎日継続していることなどは、急激な変化は起こりにくい。
だから「継続は力なり」というのではないか。
急激に成長をすれば、一時はいいだろうが、本人がそれについていけないことも多い。
急激なダイエットが、リバウンドを引き起こすように。
成長や自己啓発を促す世間の言葉に惑わされずに日々成長を遂げていきたいと思う。
自分が成長したかどうか誰が判断するのかわたしには分からないが、もし相手の成長に気づいた時はそれを誉める自分でいたいと思う。
『365歩のマーチ』は、
「あなたのつけた足跡にゃ、きれいな花が咲くでしょう」
で終わっている。

コメント

  1. SECRET: 0
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    まさに人生とは一進一退。
    うちのばぁちゃんがよく言ってました。
    「どんな名刀でも、磨かなあかん」
    って。
    人間も自分自身を磨き続けることで、成長していくのでないでしょうか。

  2. mrgarita より:

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    おばあちゃんの言葉
    「どんな名刀でも、磨かなあかん」
    はいい言葉ですね。胸に刻みます。
    おばあちゃんのよく言っていた言葉って、なぜか大人になってから思い出しますね。

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