初めての洗脳

「洗脳」という言葉を聞くと、私は1995年にオーム真理教が起こした「地下鉄サリン事件」を思い出します。
その頃、私自身「地下鉄サリン事件」のあった東京で働いていましたので、死ななくて良かったと心底思います。
「サリン」「無差別テロ」などという言葉とともに「洗脳」と言う言葉がニュースで毎日のように踊っていました。
「洗脳」は脳を洗うと書きますが、今までとは違う新しい考え方や行動が脳に叩き込まれることです。
そして、私は最近やっと「洗脳」の意味が分かりました。
私たちは生まれながらにして、「洗脳」を受けていると言う事実です。
それは国家からとか学校からとかではなく、自分の「親」からです。
自分の親から受けた洗脳はなかなか意識しているわけではないので、かなり厄介だと言うことにも気づきました。
私は結婚して子供も2人いますが、最近になりようやく、今までの自分の「考え方」や「行動の基準」が自分の親にある事が分かりました。
というより、「結婚して」とか「子供が出来て」などの経験を通して、親からの「洗脳」に気づかされたと言えます。
結婚すると、2人で生活を始めます。
当然、ほぼ四六時中生活をともにする訳ですので、相手と自分との生活の違いに気づかされます。
今まで食べていたご飯のおかずの味付けにしろ違います。
お風呂の中での体の洗い方や歯磨き粉をつける量とかの細かい部分まで違います。
風邪をひいたときの対処方法なども違います。
そしてそれらはほとんど親の真似であったことに気づかされるのです。
ちなみにこうした違いはちょっとした喧嘩の原因にもなりますよね。
でも、結婚した当初は、親から「洗脳」を受けているなんてとても考えが及びませんでした。
子供が出来て「子育て」を始めると、あることに気づきました。
子供は自分の行動や言葉遣いを全て真似るのです。
藤子不二雄の描いた漫画パーマンに登場する「コピーロボット」みたいです。
そして、言葉遣いを真似るということは、考え方も次第に自分の発した言葉に近づいていくようなのです。
子供は始めのうち、言葉の意味も分からずに、言葉を真似ています。しかし、そのうち自ら発した言葉の意味をもつ感情になっていくようなのです。
「弱虫だなぁ」と言ったとします。
最初は言葉を真似て「ヨワムシダナァ」なのですが、何度も繰り返すうちにその言葉を繰り出すタイミングを習得し、感情とともに発するようになるのです。
私は子供が2人います。
以前上の子を叱った言葉で、上の子が下の子に対して叱っているのを見たときは言葉遣いを気をつけようと思いました。
夫婦間では、子供の教育方針の違いが出てきます。しかし、これも私たち夫婦がそれぞれの親から受けた「洗脳」に他なりません。
子供の教育をめぐって喧嘩が始まるのも「そりゃそうだ」とうなずけます。
自分が正しいと信じて疑わないのですから、喧嘩にもなります。
これからは、夫婦喧嘩になりそうなときは、「いや、まてよ。これは親の洗脳では?」と言うところから始めようと思います。
人間は考え方も行動も年をとるにつれて、変わっていく生き物です。
親の洗脳から抜け出せたとき、何をより所に生きていくかが問われるところだと思います。
親から受けた「洗脳」といってしまうと言葉のもつイメージが悪いので、親から受ける「教育」は大事だ、という事で締めくくりたいと思います。
〓武田〓

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