今日と言う日は二度とない

アイキャッチ未登録画像 そういう気持ち

子供たちが小さかった頃、よくわたしが肩車をして歩いた。
わたし自身も父に肩車をしてもらった記憶がある。肩車をしてもらったときの何となく誇らしい気分は今も覚えている。

さすがに今となっては子供たちも巣立ちの時期に近づきつつあるので、肩車などできない。(むしろわたしがしてもらいたいくらいだ)
時々、最後に子供を肩に乗せたのはいつだったろうか?と考えることがある。
「今日から肩車をやめます!」と宣言したわけでもないのに、いつの間にかそうしたことをしなくなっている。時が経つというのはそういうことかもしれない。

子供たちは次第に親を敬遠するようになる。それが成長するということだ。
妻と子供たちの思い出話をするとき、何度か妻が言われたことがある。

「とうちゃんも来れば良かったのに」

と長男が言ったときの話だ。

1度目は、妻と子供たちがわたし抜きでディズニーランドに行ったとき。こう言ったらしい。(たまたま子供たちが秋休みで妻が年休を取っていったらしい)
2度目は、休日に妻と子供たちがガラス細工の教室に行ってなにか作ってきたときだ。わたしはつまらなそうに感じ参加しなかった。(協調性のかけらもない人間なのだ、わたしは!)長男からすれば、「ガラス細工面白かったよ。とうちゃんも来れば良かったのに」ということなのだろう。

この話を聞くとき、後悔とも反省ともつかぬ感情に満たされる。
過去にはもう戻れないからだ。今日と言う日は二度とない。今だって「その時」かもしれない。

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