ひとの道

色々と目には見えない「道」がある。
わたしの生きていく道もふだんは目には見えてはいない。
世の中には道路のように目に見える道より、目には見えていない道の方が多いのかもしれない。


自治会の草刈りをしていたときのこと。
一通り作業が終わり皆で帰宅途中、同じ自治会の人から「いのししの道」というものを教えてもらった。
そこは、わたしが普段何の気なしに通り過ぎる坂道である。坂道の片側は、山になっており反対側は、それほど高くはない崖みちになっている。
「ほら、そこ」
と言われて見た場所には、人が一人通れるくらいの一本の道が草をかき分けてできており、今自分が歩いている道のところまで続いている。
「昔からこの道とおってくるんだよなあ。いのししめが」

とその人は言った。しかもいのししは、その崖に作った道から道路を横切り、山側を登るらしい。
わたしは一度もその道でいのししを見たことはないが、同じ自治会の人たちは何回かその道を通るいのししを見ているようだった。
今までに何度も草刈りをして何度も通ったことのある道なのだが、そのとき言われて始めて「道」の存在に気づいた。それまでは見えない道だった。
妻に「魚道(ぎょどう)って知ってる?」と言われたことがある。
川に魚の通り道をもうけて生態系を壊さないようにするための人工的な道のことらしい。
例えば、鮭が川を登り産卵が出来るような道をつくっておく、などが魚道だ。
この道もたぶんわたしには見えない道なのだろう。
色々な道があるものだ。
魯迅は、小説『故郷』で、

もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

と言った。
確かに地上にある道とはそういうものだ。
目に見えない方の道はどうか。
人生には歩く人が多くない道、歩く人が一人だけの道、歩く人がいなくなった道も数多くあるに違いない。
この先もう誰も通ることのない道も無数にあるのだろう。

わたしはこれからどんな道を通ってゆくのだろうか。
それとも作ってゆくのだろうか。

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