昼休みに誰も来ない教室で本を読んでいることが多い。
先生のわたしがいるから学生が入ってこないのかもしれないが、静かで気に入っている場所だ。
その部屋から見えるアパートは新築で、どの窓にもカーテンが掛かっているところからすると、満員御礼のようだ。
しかし、昼間のアパートには誰も住んでいない。なぜなら、住人はみんな仕事に行っているから。
家賃は何万円だろうか、と思った。
ほとんどの時間、生活をしない場所に家賃を支払って会社や職場で働いているのがわたしたちだ。
アパートならまだいいが、30年のローンを組んで一軒家の主人になった人は人生のほとんどの時間を汗水たらして働く。その家でくつろぐこともなく。
【写真/2010年9月16日 安い旅行バックに限る。落書きするには】
「ねずみ男の冒険」という水木しげるの漫画がある。
人の欲につけこみ金品や食べ物を巻き上げようとするねずみ男が活躍する話しだ。
ねずみ男が、すんでの所で得るはずの金品を逃してしまう。
そこで彼はこう言うのだ。
「ああ、 いつかわたしも、しあわせの甘きかおりがかぎたい」
誰もがもとめてやまない『しあわせの甘きかおり』を誰もが味わうこともなく、幕が下りてゆく、といったところで話は終わっていたかと思う。
『しあわせの甘きかおり』は、メーテルリンクの青い鳥では自分の目の前にあった。
気づくか、気づかないかだけなのかもしれない。
「いつかわたしも」の「いつか」は永遠に来ない。
Perlというプログラミング言語を作ったラリー・ウォールという人の言葉に、“There is more than one way to do it.” という名言がある。
「そのやり方は、いろいろある」という意味だが、わたしはこれがとりわけ好きだ。
30年のローンを組んで夢の一軒家を持つだけが人生ではない。
そのやり方は、いろいろある。
せめて生きているうちに『しあわせの甘きかおり』をかぐことができるよう、もう一度「今を生きる」ということの意味を自分なりに考えてみようと思う。
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