おまえのじいさんだったかもしれないからな

昨年のお盆に実家に帰省したときのこと。
子供たちや親戚と近所の神社で毎年行われる盆踊りに出かけた。神社に着いて間もなく、わたしの服に蝉が止まった。その蝉は、盆踊りの間ずっとわたしの服に止まったままジージーと鳴いている。実家に歩いて帰るまでの小一時間ほどの間も、ずっと服についていた。

前の年に亡くなった祖母が、お盆に帰って来たのだろう、などと皆で話した。
解剖学者の養老孟司が、いくつかの著書でこう記している。

ブータンに旅行したときのこと。
自分の注文した飲み物にハエが入った。現地の人がそれをつまみ出して逃がし、こう言った。

「おまえのじいさんだったかもしれないからな」

養老孟司自身は、そういう考え方を持っていることに意味がある、と述べている。
もちろん、わたしの服についた蝉が亡くなった祖母である必要はないし、世の中の事象が、そんなことばかりだったとしたらきりがない。
ただ、経済やコンピュータに覆われた現代社会で、そういう思想を持つ事は今後大事になってくるのではないか。
とかくこの世の人は、「関係ないね」と思い行動しがちだからだ。

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