「原発資産価値ゼロ」の記事

「原発、資産価値ゼロ」
こんな見出しが今日の新聞にあった。
これは政府が原発を再稼動させずに廃炉にすると決めた場合の電力会社の借金についての見出しだった。
電力会社10社中の4社が原発を廃炉にした場合、資産より借金のほうが多くなるとの見方を経済産業省がまとめている、という記事だ。
借金のほうが多くなる4社の中に東京電力も入っている。
大飯原発再稼動問題のある関西電力は廃炉にした場合でも借金はない。
気になる一文があった。
「政府は電力不足を理由に再稼動を進めるが、電力会社の経営が成り立たなくなることも背景にある」
これが何をあらわしているか?
さらっと書いてあるが、すんなり流す訳にはいかない。


要するに政府は、
「電力不足を煽って再稼動を進めようとしているが、電力会社のお金がなくなってつぶれてしまいかねないので、電力会社存続のために再稼動を持ち出してきている。なぜなら大きなお金が動いているから」
という意味になる。
野田首相が大飯原発再稼動について語った、「国民の生活を守るため」は、「電力会社やそれに群がる利権を守るため」と置き換えたほうが良い。
素直に言葉通りに受け取ってはいけないということに改めて気づく。
信用とは、相手が言ったことをそのとおりに実践して初めて得られるものだ。
言っていることに「ウソ」があるかどうかは、その人やその企業、その政治家のその後の行動を見れば一目瞭然である。
今回の新聞の切り抜きはスクラップブックに保存しておく必要があるなと思った。
原発再稼動や消費税増税については、色々な党や政治家が意見を述べているが、誰が何と言ったかを記録しておけば、次の選挙で誰に投票すべきかの判断材料が得られる。
いい大人でも選挙に行かない人がいるが、そういった人が「生活が苦しくてさ」だの「どうなってるんだこの国は」などというのを聞いていると一票投じたら、と言いたくなる。
なぜなら、その一票で国の方向やあり方が変わっていくからだ。
わたしが生まれたときよりも現代は選挙の投票率が減った。そして最近の方が、生活や国のあり方の変化が大きくなってきていることを感じる。
良い方向に行っていないことは、テレビを見ないわたしでも分かる。
政治家でもないわたしたちに残された国民の権利は、選挙で一票投じることである。
それにより国が変わることを忘れてはならない。
女性が投票できない時代もあったことを忘れてはならない。
「一身独立して、一国独立す」という福沢諭吉の言葉も忘れてはならない。
昔の日本人はこの一票を得るため、選挙権を得るためそれこそ命を懸けた。
原発の資産価値はゼロになってもいいが、自分自身の資産価値までゼロにしてはいけないと思う。

コメント

  1. tsuyopi より:

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    原発廃止を求めている人達はデモを行うのではなくカネを集めて電力会社から原子力発電所を買い取れば良いのでは? 民間会社が高額の資産を持っていてそれを使う権利を奪うことを主張するのであれば、それなりの犠牲を払うべき。なお私は電力会社の社員でも関係者でもなく電力や原発とは無関係であり、感情だけに流されて意見を主張する人達へ反論しているだけです。

  2. mrgarita より:

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    > tsuyopi さん
    「それなりの犠牲を払うべき」というtsuyopiさんの意見は確かにその通りだと思いました。
    デモ行進以上にブログへの投稿は身銭を切っているとは言えないからです。
    貴重なご意見ありがとうございました。
    改めて「何かを得るには、何か犠牲を払わなければならない」という事を思いました。
    mrgarita

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