置かれた場所で、咲きもしない

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よく「○○かぶれ」といって何かに取り憑かれた様にそればかりを追い求める人がいる。
「外国かぶれ」の人もいる。イギリスの田舎暮らしに憧れる「イギリスかぶれ」の人やインドでの旅が忘れられなくて「インドかぶれ」になる人もいる。わたしはどちらかと言うと「日本かぶれ」だ。
Cherry Tree2
【写真/2009年4月11日 市街地の桜】


先日読んだ本はたぶん「イギリスかぶれ」の人が書いた本で、日本でも体験できるようなことをあえて「イギリスでは〜」などと紹介していて驚いた。取り憑かれてしまうと目の前の事も見えなくなるようだ。
わたしは世界中を旅した訳ではないが、日本にはあらゆるものが揃っているような気がする。もちろん日本にはグランドキャニオンもないし万里の長城もない。景観として揃っているということではなく、精神的なものや暮らしのレベルからすると日本にはかなりいいものが揃っているということだ。
だからこの国で幸福を感じないのであれば、他の国にいってもまず幸福を感じることはできない。
日本は工業製品では最新のものを手に入れることが出来るし、芸術や観劇など文化的な生活を送ることもできる。それとは別に田舎ぐらしで自給自足に近い生活だって手に入れることが出来る。自分の足で旅をした松尾芭蕉のような生活だって出来ないこともない。
それなのに、それなのにだ。
他の国にいったから「自然から力がもらえる」とか、「時間の流れがゆったりとする」とかそんなことあるわけない。
人生はいつも自分次第だ。
憧れとしての外国は悪くはないと思う。旅をして新しい発見ももちろんいい。でも自分のいる場所で「今」を感じて生活できないとどこへ行っても遠くの世界に憧れだけを追い求めてしまう。昨年売れた本でいうなら『置かれた場所で咲きなさい』といった感じだろうか。
わたしは「置かれた場所で、咲きもしない」ほうに一票投じたい。
咲くかどうかは、本人の力と時の運。咲けば「良かったね」くらいにしておかないと。
アントニオ猪木の言葉に、
花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ
というものがある。
そう、みんな生きている。

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