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教育:習ったことを生かせる場

学校にも親にも限界がある。
わたしは最近学生に対して、「習ったことを生かせる場」というものを考えている。

わたしの学校に入学してくる学生はとりわけ<自信>というものがない。
「高校は卒業したが、これからどうしよう」という感じだ。
どうしよう、ならまだいい。親や先生から言われて入学してきました、という学生も中には多い。
小学校は三年間通学してません。中学時代は友だちもいなくいじめられていました。
12時間ゲームで遊んでいたことがあります。等々。
現実から目をそむけていたり、何かから逃げていたり、親なら頭をかかえてしまう状況だ。
原因の一つは、自分自身に「自信がない」ことだ。

でも、大人だって皆自信を持って生活しているわけでもない。そういうことを大人は学生にもっと伝えないといけないと思う。

教育というものは、社会で育むものだ。
そういう仕組みが必要だ。
学校の授業だけで、家庭内のしつけだけでどうにかしようとするからおかしくなる。
学校にも親にも限界はある。
かわいい子には旅をさせ、という昔からの言葉は嘘ではない。

わたしは学生に対して「交流学習」なるものを考えた。
ふだん学生が勉強しているコンピュータを自分より年下の小学生や中高生に教えるのだ。
学生が講師となって、学んできたことを教える。その為に、わたしは自分の授業時間中に学生が講師をシュミレーションするための時間をもうけた。
ただ、教える内容が自分たちにとっても「楽しめない」、「つまらない」ものだと、モチベーションが上がらないと考えたので、内容は「ゲーム制作」ということにした。ゲームをプレイすることは遊びだが、ゲームを作ることは学びにもなる。なにより自分が描いたキャラクタが登場したり、動いたりするさまは純粋に嬉しいものだ。
協力してくれた小学校や高校に対して、うちの学生が失敗したらどうしよう、という気持ちがはやったが、それは杞憂だった。
2時間弱の「ゲーム制作講座」の講師となった学生たちは、皆一様に真剣に教えていた。ふだん授業では見られない光景だと思った。
終わったあと、講師役の学生は饒舌になっていた。
お互いが同じ目標で頑張ったという体験がそうさせるのか、お互いの教えた学生のこと、失敗したこと、嬉しかったことを口々に述べていた。わたしはそれを見ていただけだったので、その輪の中には入れなかった。
学生が自分の手を離れた瞬間のような気がした。

そのとき学生がいつもより大きく見えたのは、やり遂げたという気持ち、人の役に立ったという気持ち、二つが合わさった「自信」なのではないかなあ、と思った。
一人学生がわたしに話しかけてきた。
「先生、俺、もう少し授業真面目に受けておけば良かったよ。もっとちゃんと教えられたのに」
わたしも少し自信をもらった気がした。

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