冷静に考えると「身体を圧迫されながら、小さな機械を片手で操作し続ける拷問」なのではないかと思ってしまった。
久しぶりに東京の電車に乗った。
帰宅ラッシュらしく、立ち乗りで隣の人と少し触れ合うくらいには混んでいた。
ふた駅目にはすし詰め状態になり身動きがとれなくなった。
ふだん田舎道を車通勤しているわたしにとってこれは辛い。
その時見た光景をわたしは忘れないと思う。
目の前の男性は乗り込んできたときから器用に片手でスマホを操作している。
目にうつる人、人、人。みな片手に持ったスマホで何か熱心に見入っている。
一様にみな無言で無表情だ。
すし詰め状態でこれだけ圧迫されているのにみんな器用だなあ、とのんきに思ってしまった。
感心した反面、ちょっと恐くなった。
周囲の人たちにとっては慣れ親しんだ生活の一部なのだろうが、わたしにはどうしても「身体を圧迫されながら、小さな機械を片手で操作し続ける拷問」にしか見えなかった。
乗車定員4名の車に一人で乗って、信号の少ない田舎道を通勤するわたしは人間らしい生活をしているのだなあと思った。
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