たよりない箱

そういう気持ち

一時的に箱が欲しい、そんな時がある。
ちゃんとした箱ではなく、できれば紙で出来ているたよりない箱が欲しい。
なぜ紙のたよりない箱なのか?
落花生を食べた時に殻を入れたり、調理で出た野菜くずを入れたりして、そのまま箱毎ごみ箱に捨てる事が出来る。ちゃんとした箱だとこうはいかない。永続的に箱が箱である必要はなく、あくまで一時的に箱であれば事足りるのだ。

紙で出来た華奢な箱。小さい頃に憶えた折り紙の箱を作ろうと思った。
折り紙の「折り方」というものは、だいたい似たようなものだ。そう楽観的に始めてみたが、わたしはすっかり「箱」の折り方を忘れていた。妻や娘も一緒になって折り紙の箱に挑戦した。しかし、二人ともわたしと同じく折り方を忘れているようだった。

完成形は頭にあるのに辿りつけないもどかしさに、わたしは「ネット検索」が頭によぎった。たぶん妻も娘もそう感じていたに違いない。ただ、出来そうで出来ない悔しさからか、誰も一様に紙と向き合うだけで「ネット検索」をしようとはしない。
その日、妻と娘は完成形とはちょっとだけ違うが十分に実用的な「箱」を折る事が出来た。わたしは折り目の沢山ついた紙が何枚か手元に残っただけだった。

翌日。妻と娘は折り紙の箱への執着は消えているようだったが、わたしは再度折り紙の箱に挑戦していた。
何度も諦めかけたあげく、小一時間ほど紙と格闘して、気づくと折り紙の箱を手にしていた。わたしは忘れないように、もう一度だけ別の紙で「箱」を折ってみた。すごくいい物が出来た気がして、ちょっと使ってごみ箱に捨てる気にはなれなかった。

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