「企画だおれ」な人生

仕事上、あるいは私的なことにおいて「企画だおれ」というものが存在する。
「企画したものが継続している状態」よりも、きっと「企画だおれ」の方が多いに違いない。人生は「企画だおれ」と言い切っても過言ではない。

本が好きなわたしは、過去に『本と集う会』なるものを企画した。
内容は、各自が持っている読まなくなった本を持ち寄り、物々交換する、というものだ。
本好きな人がぞくぞくと集まるのではないか、と思ったのだが甘かったようだ。全くと言っていい程、振るわなかった。
公民館や図書館などにチラシを置いてもらったが、よくよく考えたら図書館に行けばこと足りてしまう。駄目なわけだ。しかし、まだ心の奥底では『本と集う会』の復活を夢見ている。今でも、諦めきれない「企画だおれ」の一例だ。

金銭をはたいた「企画だおれ」もある。
英語をものにしたいと思い、今までに何度となく英語教材を買った。
「沢山英語の本を読めば、英語が理解できるようになる」と銘打って短い英語の短編本のセットに1万円くらい出したり(どう高く見積もっても1000円もしないようなクオリティの本が届いた)、「7日間で英語が話せるようになる」というDVDには4万円はたいた。7日間も使わないうちに飽きてしまった。(要するにつまらない。それに今どきDVDなどデッキに入れて再生する気になれない)

ここで、わたしの「企画だおれ」すべてを語るつもりはないが、人生は「企画だおれ」と言っても過言ではない。もちろん、「企画だおれ」した多くの失敗の中から反省を生かして次に進めばいいわけだ。
「企画」が倒れたけれども、何か学んだよ、ということだ。

今年も、わたしの中でどんな「企画だおれ」が登場するのだろう。
そこで何を学ぶのだろうか。
今から楽しみである。

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