ショートショート:あしかせ

長崎瞬哉(詩人)

あしかせ/長崎瞬哉

帰宅途中だった。
歩きながら端末を操作するのは危険なことだと頭では分かっているが、どうしても昼休みに見た人気俳優自殺のニュースをチェックしてしまう。
この公園を抜けると自宅アパート(マンションと言いたいところだが、やはりアパートだろう)は目の前だ。比較的樹木の多い公園なので、日暮れ時ともなると少し薄暗い。端末を操作しつつ周囲に気を配っていると、ちょうどブランコを勢いよく下りた少女と目が合った。
「あしかせ」
少女は私の方に向かってそう言った。少女から離れたブランコはバランスを失ったものの、宙をいったりきたりしている。少女が私に放った言葉ではないことを確認するため、私は後ろを振り返った。今度はジョギングをしている中年の女性と目が合う。女性の視線はすぐさま私を離れ、手首に巻き付けた流行の時計型端末に移動した。心拍数…いやSNSでもチェックしているのか。視線をブランコの少女に戻す。少女はやはり私を見ていた。「……あしかせ」ともう一度、彼女は静かに私をまっすぐに見て言った。
突然、私と少女のまわりだけスポットライトに照らし出されたように明るくなって、周囲が漆黒の闇となった。
黒い大きな瞳の少女だった。私は身体ごと吸い込まれるような気がして目をそらそうとしたが、自分の意志では身動きできないことに気づいた。彼女は私に何か伝えようとしているようだ。それが証拠に口元がかすかに動いている。音がとぎれとぎれに聞こえてくる。
「みんな……あしかせ…わたし……みえ…」
身体が動かない。私は大声をだそうと身体中の力を振り絞った。全く声にならない。(えっ、なんだって?君は何て言ってるの?)
少女が目を閉じた。「あっ!」ようやく声が出せた瞬間、私の身体は世界を駆け巡った。

私は地球を見下ろす位置にいる。
人工衛星にでもなった気分だ。飛んでいるのか?でも、こんな上空では空気も無いだろう。異常事態にも関わらず、私の頭脳は落ち着いていた。
不思議なことはまだ続く。今の私には地球上に張り巡らされたネットワークが可視化されて目に見えるのだ。
ウェブ、あるいはインターネット。
ここ数年で発達した世界中に張り巡らされたネットワーク網。地球上が白い蜘蛛の糸で覆われたように見える。
ぐんぐん地球が近づいてくる。どうやら私の身体はかなり高速で下降しているようだ。あれは太平洋だろうか日本から見ると太平洋の先にある大陸が見えてきた。超高層ビル群が見えてくる。多くの人が端末を持って忙しそうに行動している。朝の風景。しかしどこか変だ。人もバスも車も…私を除き何一つとして動いていないのだ。
私の脳は変になってしまったのだろうか。人々の足や腕、あるいは首すじからは一本の重い鎖が伸びている。鎖はくっついたり離れたりしながらどこまでも続いていた。一部の鎖は空に向かって果てしなく伸びていた。そうか、これが蜘蛛の巣のように見えたネットワーク網の姿なのか。
じっくり眺めている間は無かった。再び私の身体は舞い上がる。未来の宇宙船のごとく亜高速で太平洋を渡り、日本の上空を通り過ぎた。
アジアの片隅だろう。見渡す限りの畑が広がっている。ここでは農作業をしている日焼けした浅黒い男が、誰かと端末で会話したままマネキンのように動かなくなっている。男の足首はやはり鎖でつながっており、男が運転するトラクターからも鎖が伸びていた。地球一周の旅をしたいと思ったこともあったが、この旅は景色が変だ。ちっとも美しくない。
その後、私はいくつかの大陸を空から横断した。人々は固まったまま重そうな鎖でつながれていた。人によっては、2本も3本も重い鎖をつなげている者もいた。
上空から日本らしき風景が見えた時はほっとした。私の身体はもとの公園を目指しているようだ。公園が見えた。ブランコは宙で停止している。ジョギング中の女性は腕に巻いた時計型端末に目を落としたままピクリとも動かない。女性の手首からは鎖が伸びていた。あんな重そうなものを引きずって走るのは辛いだろう。
私はふと気になって自分の足元を見た。女性の鎖より更に重そうな鎖が私の足首にもつながっていた。鎖はどこまでもどこまでも伸びている。
「やめてくれー」
叫びそうになった瞬間、世界は再び動き出した。

そうなのだ。家族や友人とどこにいてもつながれる。行ったことのない場所も見てきたように知ることができる。端末をちょっと操作すれば、服も食べ物も簡単に手に入る。世界はつながって便利になった。人々の生活は豊かになった。私はそう信じていた。でも少女の瞳にはそう映らなかったようだ。
人々はインターネットという重い鎖の足かせを自ら進んで身に着けた。自らの自由を奪い取るために。すすんで奴隷となったのだ。奴隷?一体何の奴隷だ?首謀者は?
少女はこう私に伝えたかったのではないか?
「みんな足かせをしてる。わたしには見える。重い鎖の足かせ」
自ら乗ったブランコから、自由に飛び降りることのできない私たち。
公園から少女の姿は消えていた。ブランコは音もなく揺れている。

おわり

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