82年生まれ、キム・ジヨン
チョ・ナムジュ(著)
斎藤真理子(訳)
一風変わった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』
一人の韓国人女性キム・ジヨン氏の診察記録(カルテ)という形の一風変わった小説が『82年生まれ、キム・ジヨン』だ。キム・ジヨン氏の生まれてから現在(精神病で治療中)までにジヨン氏に起きた出来事が、本人もしくは第3者である家族や夫の目を通して描かれている。時に本人自身の視点から、時に夫から見たキム・ジヨン氏、時に第3者の視点から見たキム・ジヨン氏と視点は次々に変わり、年代を追うごとに淡々と進んでいく。事実のみが記述されていく形だ。
読むべき本と読まなくても大丈夫な本
小説の中には、読むべき本と読まなくても大丈夫な本があると思う。
読まなくても大丈夫な本というのは、面白いとか面白くないとかではなく、読んでも読まなくても生きていく上では必要ないという意味だ。基本的に小説を読む行為は娯楽であることがほとんどなので、大抵の小説はこちら側だ。
片や読むべき本といった意味は、これを読まないでそのまま生きていくのは、大切な部分を勘違いして生きていくことになる、という意味で読むべきという事だ。本書はこちら側である。
韓国を日本に置き換えてみる
小説の舞台は韓国である。
しかし日本人が本書を読んでも、小説の舞台である韓国社会での女性を取り巻く状況や女性が一生のうちに体験する出来事は、全く違和感なくわたしたちの胸に入りこんでくる。仮に、『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本のある小説家が書いた本であったとして、主人公が、キム・ジヨン氏でなく日本のある地方で生まれた佐藤裕子氏(仮名)だったとしても全く違和感なく読む事が出来るのだ。しかし、その理由は重い。
本書を読んで日本人のわたしが思い出した事
本書を読んで思い出した事をいくつか挙げてみる。
わたしの子供たち(男の子と女の子)が、まだ3~5歳くらいで保育所に通っていた頃、同じ保育所に通う男の子の家に遊びに来ていた。その子の家にいたおばあちゃん(お姑さん)が、その子のお母さんのいる前でこう言ったのだ。
「やっぱりいいねえ女の子は」
わたしとしては自分の子が褒められたようで悪い気はしなかったが、その子の母親はどう感じていただろうか。
私自身においてはこうだ。
仕事中に昼食をとるためファミリーレストランに入った。少し離れた席で3~4人の主婦たちがおしゃべりをしている。それを見てわたしはこう思ったのだった。
「旦那さんは汗水たらして働いているのに主婦は昼間からいい身分だ」
相手の主婦たちがどんな状況でファミリーレストランで食事をしていたのか全く知らないくせに、わたしは彼女たちを悪い事でもしたかのよう心の中で考えていたのだ。もしかすると彼女たちは忙しい育児の合間のほんのひとときを過ごしていたのかもしれないのだ。夫は残業続きで遅い帰宅、小さい子どもの世話はほとんど彼女たちがしていたかもしれないのに。女性や主婦はこうあるべき、という固定観念もしくは自分の狭い価値基準から誤った判断を下している。そんな状態。その当時のわたしは、そんな自分の考えに何の疑いももっていなかった。(今現在は少しましな考えを持つようになったが、まだまだ本書に登場する男性とさして変わらないのではないか)
もっと簡単な例をあげると子育て期間中、おむつ交換をしようと妻に対してわたしが言った次の一言。
「手伝うよ」
本書では、このような日常に潜む女性視点から見たエピソードがキム・ジヨン氏の目を通して、ところどころに登場する。主人公キム・ジヨンの目を通して描かれるため、読者はキム・ジヨンの生い立ちや置かれている状況を知った上で、彼女(女性たち)が日々受け続けている事柄を仮想体験することになる。女性読者からは共感が、男性読者からは気まずさ、反省、反発、あるいは俺はこんな男たちとは違うといった自分を擁護する感情だろうか。
2020年においても日本は男性優位の社会であるという事実
男女平等だの女性の権利だの声高に叫ばれている現代社会において、いまだに男性優位の社会となっているという現状。それを当の男性自身が本気で変える気もない、という現状。(本書を読んでわたし自身もその男性陣の一人であることが明白に分かった)
地元韓国では100万部を突破し、映画化もされたベストセラー小説が、『82年生まれ、キム・ジヨン』である。
しかし、「100万部突破」や「映画化された」などという修飾子はまったくもって余計だと本書を読めば分かる。これは最低でも世界の男性が一度は読むべき本なのだ。当たり前に過ごしてきたことが、いかに変な状況かという事を知るきっかけになる。日本人は韓国という国を普段少し下に見ている節はないだろうか。そんな気持ちが少しでもあるのなら、本書のような内容の本が、わたし達日本人の手で出版されなかった事を憂うべきだろう。
著者チョ・ナムジュ氏の投げた石は、#MeTooをはじめ、すでに世界の潮流であることは明白だ。(ちなみにわたしはTwitterなどで#MeTooなどと検索して見るよりきちんと本書のような出版物を読んだ方が正確な情報が得られると思っている。SNSは時に感情的、過激になりやすいので)
10年後、世界も日本も本書のキム・ジヨン氏を取り巻く状況と、さして変わっていないのであれば、それはわたし達の責任に他ならないと感じた。
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