わたしはもうかれこれ20年以上プログラミングというものを好んでやっているが、未だに大したものを作ることができない。それでもプログラムを作っていると楽しく、時が経つのを忘れてしまう。わたしが時々キーボードから何かしらの英文字を打ち込んでいる(プログラミングしている)姿を見ている妻は、aをbに変えたりして何か面白いものなの?と聞いてくる。
【写真/2013年3月2日 プログラミングとは考えること】
わたしはふだん楽しんでしまっているので、プログラミングしている自分を客観的に見た試しはない。妻から見るとわたしがプログラムを作っている姿は楽しそうに見えない、ということらしい。確かに傍目にはとても面白そうにみえるものではないなあ、と何年もやってきて初めて感じた。
スポーツで楽しんでいる人のようには、プログラミングは楽しそうには見えないのだ。
そう考えるとプログラミングに限らず、自分では集中して楽しんでいることでも周りから見て苦痛に見えたり楽しそうに見えたりしないものは多いのかもしれない。
何かを作るという行為は、「その先にあるもの」を追い求める行為だ。
「その先にあるもの」と自分が考えたり想像して出来上がった「モノ」との差があれば、悔しくてまた挑戦するだけだ。
もし自分が想像したとおりに「モノ」が出来上がれば、モノのかたちが一致したことになり、素直に嬉しい。
「その先にあるもの」とは、その人自身にしか見えることのないものだ。
たぶん、集中して物事に打ち込んでいるとき、きっとそれはどんな風景よりも美しい。
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