2012年10月6日土曜日に劇団四季『青い鳥』の公演を観劇した感想。
場所は東京浜松町の四季劇場<秋>である。
原作に忠実なミュージカルになっていると感じた。
劇団四季のミュージカルでは、チルチル(兄)とミチル(妹)はどちらも女性が演じていた。
これは賛否の別れるところかもしれない。
魔法使いのおばあさんは、男性俳優が演じている。見た目での違和感はない。
これはこれでいい味を出しているとわたしは思ったが、声のトーンなど違和感を感じる人もいるかもしれない。
わたしはこの公演を観劇する前に原作を読んだ。(こちら 本の感想:青い鳥)
劇団四季の『青い鳥』では、本の中のセリフをそのまま使っている部分も多く、ストーリーも原作に忠実に再現されていると思った。
わたしが一番原作に忠実だと感じた部分がある。
『青い鳥』の絵本や子供向けの本で表現されている「幸せの象徴である青い鳥」といった表現、これが原作でも劇団四季でのミュージカルでもなかったことだ。
実は一度も「幸せの青い鳥」などという表現は原作でもミュージカルでもでてこない。
では一体「青い鳥」とは何なのか?
物語の冒頭で、クリスマスの前の晩にチルチルとミチルのもとへ、魔法使いのおばあさんが訪ねてくる。
魔法使いのおばあさんは、チルチルとミチルに魔法の帽子をさずけるかわりに、娘の病気をなおすため「青い鳥」を探すように命じるのだが、魔法使いのおばあさんは「青い鳥」がなんであるかを明かさない。
ただ、おばあさんは、「青い鳥」を探してくれと頼むだけだ。
ここでも「青い鳥」が何であるのかわたしたちは知らされない。
わたしたちは置いてけぼりを食う。
チルチル、ミチルと一緒に青い鳥を探す旅の仲間たち、<ヒカリ>、<飼い犬のチロー>、<ねこのチレット>、<パンの精>、<火の精>、<水の精>、<ミルクの精>、<砂糖の精>もやはり「青い鳥」がなんであるのかを知らない。
もしかすると旅の行き先の指示をだす<ヒカリ>だけは「青い鳥」がなんであるか知っているのかもしれないが。
<ヒカリ>はきっと原作者メーテルリンクその人だ。
<ヒカリ>は、チルチルとミチル(わたしたち)に対して、色々な場所でいろいろな経験をさせることで人が生きていく上での喜びや幸せを教えてくれているような気がする。
わたしは小学生の子供たちとこのミュージカルを観劇した。
第2幕が上がる前、通路に幸福の花園に住む太っちょなウエイトレスが歩いてきて、ユニークな動きと見た目で笑いを誘っていた。
休憩のあとの第2幕が自然な笑いとともに開始したのが印象的だった。
ミュージカルでは、出演者の衣装やダンスが純粋に楽しめる。大人でも子供でも。
未来の国の場面、生まれる前の赤ちゃんがそれぞれ何か抱えている。
生まれる前に何か<ひとつ>を持って生まれていかなければならないのだ。
スイカみたいな大きなメロン、新しい治療薬、おもちゃ…赤ちゃんたちひとりひとりが抱えているものは生をうけたのちの彼らが発明したり生み出すものなのだ。
そんな中、チルチルとミチルに「お兄ちゃん」と声をかける赤ちゃんがいる。
未来の弟にチルチルとミチルは、未来の国で出会うのだ。
しかし、その弟が抱えている<ひとつ>というのは病気だった。
その場面、近くにいた小学生が「えっ」と声をあげた。
ミュージカル『青い鳥』は大人でも子供でも楽しめる。
ミュージカルを観ている間、わたしたちは夢の世界に行くことができる。
しかしこの話は夢物語ではなく、非常に現実的な部分をしめている話であるとあらためて思う。
で、結局「青い鳥」とは何であるのか?
申し訳ないが、『青い鳥』はそれを見える人にしか見えない。
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