貨物列車とSさん

JRが国鉄だった頃

10年来お付き合いのある本屋を経営するSさんと久しぶりに話した。
Sさんの経営する本屋は昔ながらの書店で、チェーン店ではない。大型書店でもなく、かといって個人書店のように小さすぎず、店員に本のありかを聞けばそれはここです、と返ってくるような本屋だ。
Sさんは、昔仕事をしていた国鉄(現JR)の手荷物受付の話をしてくれた。

貨物列車は、平成の今でも時々走っているのを見かける。
コキ○○○○」とか「トキ○○○○」とかが列車の横に書いてある、あれだ。
Sさんが、従事していたのは国鉄から命を受け手荷物や貨物などの受付をする民間会社だった。
荷物を地方に送る場合、人々は近くの駅まで持っていき、送り先に近い駅まで国鉄の汽車で運んでもらう。駅から駅まで荷物を運ぶ部分は国鉄の仕事。荷物受付と到着駅から送り先の住所まで運ぶ部分はSさんの会社の仕事。役割分担がされていた。
今思えば、汽車を取り巻く色々な所で人々は仕事に従事していたのだ。

宅急便の今昔

自動車が普及する以前、現代で言えば宅急便の代わりに人々は汽車を使って遠くへ荷物を運んだ。その当時は、貨物専用列車の他に乗客用の汽車にも貨物車がくっついて走ることもあった。現在、わたしたちは近くのコンビニに荷物をもっていき地方へ荷物を送る。
当時は、駅に荷物をもっていって地方に送ったのだそうだ。
驚くことに、汽車で送る荷物のしまりは厳しく規定されていて、例えば同じサツマイモでも生の芋と乾燥芋では金額も違ったのだそうだ。金額はもちろん<そろばん>で計算するのだ。(コンピュータなどない時代だ)
しかも、汽車で送った荷物はいつ到着するか分からない。

事務職は筋肉隆々

Sさんは、受付の仕事だが、人手が足りなくなれば貨物車に荷物を載せる仕事もした。
もちろん全部手作業。フォークリフトなどない時代。
「50kgのセメントの袋持ったことある?」とSさんはわたしに尋ねた。
貨物列車一杯に<50kgのセメント袋>を積むのだ。手作業で。何百と。
ビニールのつるつるとしたセメント袋の持ちにくさといったらなかったそうだ。
一つなら想像がつくが、何百となると想像がつかない。中には50kgのセメント袋2つを一度に持つ豪傑もいたそうだ。
「筋肉がついてしょうがなかったよー」とSさん。
そりゃ、そうだ。

ミッションインポッシブル

わたしがSさんから聞いた話の中で恐ろしかったのは、荷物運賃の話だ。
もし、お客さんから頂いた荷物の運賃が間違っていて5円でも10円でも多かったり少なかったりした場合、その日のうちにお客さんのところまでいって金額を精算し、印をもらって帰ってこなければならない。国鉄で扱うお金は国のお金である、という上からの至上命令があったそうだ。

80を越えているSさん。
ダンボール箱いっぱいに入る本を運ぶのは、さぞかし大変だろう、などとわたしは思っていた。しかし、Sさんの昔の苦労に比べればなんのことはないのだろう。

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