日本がまだバブル景気と呼ばれていた1990年当時、わたしは人生初の就職活動をした。
面接に行けば、内定が手に入るという状況だったから、まわりで真剣に就職活動をしていたものはほとんどいなかった。
わたしは学校掲示板に張り出されていた求人企業リストを見て、リストの一番上にあった企業を受けることにした。
なぜ一番上の企業を選んだか?単に下まで見るのが面倒だったからだ。
大学のある徳島から面接先の茨城まではちょっとした旅行だった。
面接もそこそこに、面接官から今夜はお時間ありますか?と聞かれた。
「夕食を御馳走しますので」ということだった。
初めての企業面接だったせいもあるが、わたしは面接とはこういうものかと何の疑問もなく夕食に招かれた。
夕食の席には、わたしの他にもう一人、同じ日に面接を受けた学生が来ていた。
「さあさ、どうぞ。ここは柳川鍋が食べられるんですよ!」と面接官はわたしたちにビールを注ぎながら言った。面接に行っただけなのに面接官とビールまで飲んでいる。さすがにちょっと変だなとは思った。
柳川鍋がどんなものか知らなかったわたしは、少々の期待感もあり面接官があけた鍋の中を見てがっかりしたのを憶えている。
卵とじにされたドジョウがそこにあった。
小学生の頃、近所の小川で泥だらけになりドジョウを獲ったことがあったが、食べようとは思わなかった。泥臭い魚というイメージしかドジョウにはなかったからだ。
だから、柳川鍋が美味しいとは思えなかった。
面接報告を大学の担当教授に伝えに行った。間髪を入れず、教授が「内定おめでとう!」と言った。
わたしが茨城から徳島に戻ってくる前に面接結果は出ていたのだ。
なんという楽な就職活動だろう。
徳島から茨城まで旅行して、ビール飲んで柳川鍋を食べてきたら内定が出ていた。
「バブル」という言葉を聞いたのは、わたしが入社する少し前だった。バブルが崩壊したとニュースキャスターたちが騒いでいた。世の中の雲行きが怪しくなってきた。
これから日本の景気は悪くなる、というニュースを聞いて、わたしは初めてあの柳川鍋がバブルだったんだなと気づいた。
自分の目的を忘れ、何の疑問も持たず多くの人たちが無駄にお金を使っていた。
そんな時代だったのだ。バブルは。
バブルとは何だったのだろうか?渦中にいて気づいていた人、気づかなかった人もいると聞く。
あの面接官の顔は忘れたが、少し苦い卵とじドジョウの味だけは憶えている。
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