1400文字小説:うちあけ話

長崎瞬哉(詩人)
うちあけ話

森の中を一人で歩いているとき、誰かの視線を感じたことがあるかい?
まわりに誰もいないのに、視線を感じるんだ。

僕はあるよ。

その視線はいつも、同じ森の中で感じた。
僕はその森に何かあると考えた。そして、何度か視線を感じるうち、僕はその視線の主に相対してしまった。

今日はその話を君にしようと思う。

僕はよく、気晴らしに森を散歩する。そう、君も知っているあの森だ。細くて迷路みたいな道を進むと、大きな樫の木が一本だけ立っている広場に出るあの森だ。

気持ちのいい晴れた日だった。

森の入口に着くと、中は夕暮れ時みたいに暗く見えた。迷路みたいな道を進むとすぐに視線を感じた。後ろを振り返ってみたが誰もいない。前方で枝がバキッと折れる音がした。でも動物の姿も見えない。しかし、視線だけは妙に感じるんだ。僕に何か言いたげな、はっきりとした視線を。

子どもの頃に僕がよく通った道に差し掛かった。

ここは道が左右に分かれていて、右に行くとすぐに樫の木の広場に出る。左に行っても樫の木の広場に出るんだが、分岐が多く、まわり道になってしまう。でも、まわり道は散歩にもってこいなので、僕は左の道を進んだ。

依然として視線は感じていた。今日はやけに視線を強く感じる。

と、その時、突風が吹いた。何の前触れもなく大きな風が吹いたんだ。

僕は思わず目をつぶった。

目を開けた時、視線がそこにあった。

3才くらいの男の子が泣きはらしたような目で僕を見ていた。

「マ、ママ―あ」とその子は言った。

男の子は、どうやら迷子になってしまったようだ。僕はすぐ男の子の元に駆けより、目の高さに腰を下ろしてたずねた。

「お母さん、いなくなっちゃたの?」

「ううん。ねんね…」

「ねんねしてるの?一緒に探そうか。」

男の子は静かにうなずく。僕は男の子の手を取った。

男の子と歩くうち、僕はある事に気づいた。

森の中で感じていた視線が消えている。そして一つ思い出していた。

男の子と手をつないで歩くうちに僕の小さかった頃の記憶が蘇ってきていた。

広場に出た。樫の木が見えた。樫の木に寄り掛かるようにして水色のワンピースを着た女性が眠っている。僕の母だった。僕が母に気づいた瞬間、男の子も気づいたようだ。すでに僕の手を離し、駆けだしている。

「ママ―!」

男の子の声で、僕は一瞬にして思い出した。

小さかった頃、よく母とこの森に遊びに来た。僕の相手に疲れたのか母は大きな木の下で眠ってしまうことがたびたびあった。あの日、僕は母が眠ってしまったあと、一人で行ったことのない道を冒険した。そして迷子になった。

暗い森の中で泣いていると、突然目の前に男の人が現れた。本当に魔法みたいに出てきたんだ。男の人は僕の手を取って母親のところまで連れて行ってくれた。母に抱かれ、安心した僕が気づいたとき、男の人はもういなかった。

男の子みたいに、僕も樫の木の下で眠る母の元へ駆け出したかった。でも、あそこにいるのは母であって母ではない。母はもう、一年も前に天国へと旅立った。あそこにいるのは、3才の僕の母なんだ。こんな大きな男が近づいて「お母さん」なんて言ったら変だよね。

男の子に気づき、眠りから覚めた母は、ちょっと驚いたような表情を浮かべた。そしてすぐ笑顔になった。母の笑顔を目に焼きつけて、僕は来た道を引き返した。

それ以来、僕は森の中で視線を感じることはなくなった。

話はこれで終わり。

最後まで聞いてくれてありがとう。実はこの話をするの、君がはじめてなんだ。

この話、信じる?

うそだと思う?

どっちでもいいよ。そうだ。次は君の話が聞きたいな。

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