人は生きていくうちに自由とは遠くかけ離れた場所にいつしか立っている。
本当の自由とは、知識や経験が無かった幼き時代に存在していたものだと知ったのは、半世紀を生きた後の事だった。
学生時代は、テストが終われば自由になれるとか、学校を卒業すれば自由になれる、仕事に就いた時には、この仕事を辞めたら自由になれるなどと、わたしはずっと勘違いして生きてきたのだった。
わたしの周りには、溢れんばかりの人や物の幾多がひしめいており、身動きがとれない状態だ。
それは実際に身動きがとれないという意味ではなく、心がわたしを押さえつけているという目には見えないやっかいな鎖なのだ。
この鎖を断ち切って自由を得ようとするには、わたしはもう一度幼子とならねばならぬ。
幼子というのは、常識のない知識や経験に裏打ちされぬ浅はかな存在だ。
でも自由がある。
大人のわたしが自由になるには、持っているもの一切合切を投げ捨てる必要がある。「自由」という言葉さえ捨ててしまう覚悟が必要かもしれない。
人は自由という言葉の意味を知る日まで自由でいられる。
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