地元(茨城県東茨城郡城里町)に日本人初の女性小学校教師となった黒沢止幾(くろさわとき)の生家がある。
古い建物のため、城里町が文化財として修復して公開する予定のようだ。日本興業経済新聞社の記事に今後の計画が掲載されている。(完成がいつになるのか分からないが…)
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日本初の女性教師・黒澤止幾(とき)生家を整備/補強や外構、展示棟
城里町は町指定史跡である黒澤止幾(とき)生家の保存活用計画をまとめた。建造物や周辺環境の破損部分を修理し、安全性の課題に対処した上で、止幾の功績や町の歴史を伝える場として活用し、地域の観光拠点となるように整備していく方針だ。本年度は検討委員...
場所
2024年1月3日時点での状況
ちなみにこの看板は、茨城県道246号錫高野石塚線から少し入った所にあるので分かりにくいです。
正直にいいますがこの先立ち入り禁止です。
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庭は池と小川があったもようです。
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黒沢止幾の生家は現在(2024年1月)ブルーシートに覆われています。
右側の青い瓦屋根の民家は空き家のようです。
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ブルーシートと棒(倒壊を防ぐため?)の応急処置がしてあります。
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縁側に「ここが明治六年学校に指定されたのです」と書かれた木の掲示版がおいてありました。
明治六年は1873年なので2024年からすれば151年前ですね。
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玄関には黒沢止幾の生い立ちがかかげられている。(わたしとしては、最後に記された「ニューモラル21」という言葉が気になる)
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黒沢止幾は85歳で生涯を閉じたそうです。
玄関にあった生い立ちの最後に、辞世の歌が記されています。
八十あまり五つの年もこゆるぎの
急がぬ老いの 旅は静けし
帰るとき振り返って、もう一度昔の学校に思いを馳せました。
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廃校の 池に水面はあらぬとも
長崎瞬哉
弟子への教え 今も続かん
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