この人だけには負けたくない、という人がいる。
わたしの場合は父だ。
父は負けず嫌いである。
小学校時代にトランプや卓球で父と勝負した。父は常に「勝ち」にこだわっていたように思う。
実際に父は強かった。
わたしも父に負けず劣らず「負けず嫌い」である。
勝負事が大好きなわたしだが、トータルでは負けの方が多い。
今まで色々な勝負事をしてきたが、勝率で言えば大目に見て3割くらいだろうか。
父との勝負ではもっと勝率は下がる気がする。
父は強かった、と感傷に浸る気はなく、父には今でも負けたくないと思っている。
一度だけ父がわざとわたしに負けたときがあった。
足相撲をご存知だろうか。
お互いに座って対面し、足の膝から下の部分を使って腕相撲の要領で相手の足のある方に倒す。
丁度弁慶の泣き所の部分同士が当たるものだから、勝負中はとても痛い。
痛さを耐えた方が勝ち、というようなゲームだ。
あるとき父が「足相撲というものがある」、とわたしに教えてくれた。
何度か対戦したがわたしにはとても父に勝てない。大人と子供だから当たり前と言えば当たり前だが。
それでも勝負を挑もうとするわたしの気持ちを察してか父は一度だけ負けた。いや、負けてくれた。
そのとき父は、「だんだん上達してきたなあ」とわたしに言った。
頑張った後のその言葉は凄く嬉しかった。
時々思い出す父のその言葉は、わたしにとって本当は嬉しかったのか悔しかったのか。
小学生のわたしも今のわたしも、その時父が負けてくれたことだけは知っている。
一つだけ父との勝負で避けてきた事がある。
父は囲碁や将棋が強かった。
とりわけ囲碁が強かったらしく、色々な大会での優勝トロフィーが山ほど家に飾ってあった。
わたしは父を誇らしいと思うと同時に「俺は囲碁なんてつまらないし、やらないさ」と斜に構えていた。
父に囲碁を教えてもらった記憶があるが素直に学ぼうという気持ちになれない。
なぜか父親に対しては素直にはなれないものだ。
反発が常にある。
しかしその反面、父との囲碁勝負に対しては、どうせ負けるし、かなわないし勝負なんかしないさ、とずっと思ってきた。
ずっと避けてきたという気持ちが正直ある。
何度かわたしに父は囲碁を教えようとしたが、わたしが面白くなさそうにしているのでいつの間にか父はわたしに囲碁をしようとは言わなくなった。
もし父がこの世からいなくなって、わたしに何か心残りがあるとすればそれは父との囲碁勝負なのだと思う。
囲碁は嫌いだが、父に勝つため、それを避けて通ることのないよう、これから囲碁をはじめようと思った。
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